花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。
先日、東京・上野の不忍池へ蓮の花を観に行ってきました。

8月に入り、すでに開花シーズンを過ぎて「もうあまり咲いていないかな」と思っていたのですが、ところどころで優雅に咲く姿に出会え、心満たされる時間を過ごしました。

「蓮の花」を人生の学びに重ねて観ることが多いですが、その時の自分によって受け取り方が変わるのが面白いところです。以前は「凛とまっすぐ伸びる茎」に心惹かれましたが、今年は少し時期が遅かったこともあり、しおれ、枯れゆく姿に目が留まりました。

始まりがあれば、終わりがある。美しく開いた花が散っていく姿には、儚さとともに、確かな生命の循環という別の美しさを感じずにはいられませんでした。

その命の循環への思いは、その後にお盆前のお墓参りで訪れた浅草で、さらに深まりました。 お墓の掃除や水やりをしながら、ふと自分の動きが、幼い頃に見た父の姿とそっくりなことに気づき、思わず笑みがこぼれてしまったのです。

こうして親から子へ、無意識のうちに受け継がれていくものがある。今、私がここで自分らしく花開いていられるのは、目には見えなくとも、両親や多くのご先祖様という「土台」があってこそなのだと。自分一人の命ではないという事実に、不思議なほどの温かさを感じました。

帰り際、いつものように浅草寺へ立ち寄りました。賑やかな境内のなか、手を合わせる時にだけ自分の中に静けさが戻る感覚が好きです。

祈りを終えて、ふと何気なく天井を見上げると、そこには「蓮の花」を掲げる天女の姿がありました。その穏やかな姿を目にした瞬間、まるで見守られているような安心感に包まれ、心がホッと温かくなりました。

まもなくお盆を迎えます。 私たちが今こうして在るのは、目には見えない無数のご先祖様から繋がれてきた「命のバトン」があるからこそ。皆様もぜひこのお盆には、ご自身のルーツに思いを馳せ、感謝とともにご先祖様に手を合わせる、そんな温かい時間をお過ごしになってみてはいかがでしょうか。
蓮に始まり、蓮に終わったこの日。自分の足元にある命の繋がりに、改めて感謝したくなる一日となりました。
(編集後記:夜の帳に寄せて)
さて、先日の浅草寺での参拝での出来事です。幼少期から通い続け、今でも毎月のように足を運んでいますが、これまでこの扁額(へんがく)にしっかりと目を向けたことはありませんでした。

いつもは混雑しているため、人混みを避けるように目の前しか見ていなかったのです。しかし今回は、ふと天井を見上げてみると、蓮の花と一緒に描かれた天女の姿がありました。そして、まるで「こっちも見て!」と呼びかけられたかのように、急に目を奪われたのが、この扁額だったのです。

観音様の御心を表した「施無畏(せむい)」という言葉が彫られている左右には、蓮の花が。ただ、驚きを隠せなかったのは、そこには龍と鯰、兜、そして右側には蜘蛛に、やや妖怪のようなものまで。

思わず身震いしてしまうほどでした。これにはさぞかし意味があると思い、浅草寺の方にたずねてみると、ありがたいことにお一人の方が調べてご丁寧にお教えいただきました。
富山の職人さんが彫られたというこの扁額。そこに込められた思いを記した文章には、このようなことが書かれていました。(一部集約しています)
『人は皆、自然災害や病、戦争、あるいは我欲から生じる邪心など、常に不安や畏れを抱えて生きています。その不安を清らかな蓮の花で浄化できないかと、地震を表す鯰(なまず)や戦争を表す兜、邪心を表す邪鬼などを彫り込み、それらを龍がしっかりと押さえつける姿を表現しました。
この扁額は飾り物ではなく観音様からのメッセージなので、あえて取り付け金具は見せない形状として、高い所から太陽の光の様に世界の衆生に降り注がれる事をイメージしています。』
何か今生きる私たちに強く響く言葉があると思い、一部をご紹介させていただきました。

コロナ禍を経て、私たちの暮らしや生き方はかつてないほどの変化を見せています。凄まじい時代の激流に呑まれそうになり、焦りや先の見えない不安を感じることも少なくありません。
しかし歴史を振り返れば、激動の時代を生きた先人たちも同じように不安に揺れ動きながら、それでも恐れに立ち止まることなく、強い覚悟で困難を切り拓いてきてくれました。今私たちがここにあるのは、そのお陰だとしみじみ感じます。

人生それぞれ、おかれている状況は様々だと思いますが、目の前の激流に息苦しさを感じたときは、浅草寺での導きのような体験のように、ふと立ち止まって上を見上げてみるといいかもしれません。
そこには、人々の不安や邪心を浄化する蓮華や、災いを押さえ込む力強い龍が、そして「畏れることはない」という温かいメッセージが光のように常に降り注ぎ、そして見守られているということに感じれるかもしれません。断じて行えば鬼神も之を避くと言いますが、私たちが確固たる思いで前を向けば、扁額の邪鬼のような目に見えぬ不安も必ず道をあけることでしょう。

お盆を目前に控えた、新月の新たなはじまりの夜。先人たちが繋いでくれた命と、今こうして自分が在ることに、そっと感謝の気持ちを抱きたいですね。
あらためて、佳き葉月の新月の夜をお愉しみください。
※本記事を彩る写真は東京都・上野(不忍池)、東京都浅草寺にて、Juttoku.が心を込めて撮影いたしました
※こちらのコラムは、「日々是香日 月便り」と題して8月の新月の日にお客様にメールにてお届けした内容の一部になります。お香のことや、自然のこと、お店のことなど、少しでもほっとしていただけるお便りを心掛けています。






