花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

暦の上では春を迎え、昨日はふわりと春の陽気に包まれたかと思えば、今日はまた冬に引き戻されたような、肌を刺す寒さが続いております。
行きつ戻りつする季節の足音に、心も体も戸惑いを感じやすいこの時節ですが、いかがお過ごしでしょうか。
春へ向かう巡り

「三寒の あとの四温の 尊きかな」
(小林一茶)
三日寒い日が続き、その後に四日暖かい日が来る。その繰り返しの末に訪れる春の気配を「尊い」と愛おしむ句です。昨日までの暖かさを知っているからこそ、今日の寒さもまた「春へ向かう巡りのひとつ」と思えば、どこかこの冷たさすら愛おしく感じられるから不思議です。

振り返れば、今年の冬は東京でも雪が降り、例年より寒さを強く感じた気がいたします。
現代は、エアコンをはじめ住環境も格段に良くなり、昔に比べれば寒さを感じずとも過ごせる便利な時代です。けれど、だからこそ「かじかむ寒さ」を肌で体感できることに、現代を生きる私たちはどこか不思議な充足感を覚えるのかもしれません。

そんな寒さの中で触れる、囲炉裏の炭の熱。ストーブの強い熱とはまた違う、身体の芯まで溶かしてくれるようなあの温かさは、何物にも代えがたいものです。

かつては冬を「耐えるべき季節」と捉え、暖かい場所を恋しく思うこともありました。

けれど今、こうして寒さを愛おしく感じられるのは、万物が芽吹く前の、どこか張り詰めたような沈黙の中にこそ、力強い生命の脈動が宿っていると気づいたからです。
この静かな寒さの下で、自然が春に向けて着々と準備を進めている——その目に見えない「動」の気配を感じ、自分もまた、この自然の巡りとともに歩み、成長していきたいと願うようになったからかもしれません。
そんな、静かな決意を秘めて咲く花が、今、私たちの目を楽しませてくれています。
百花の魁(さきがけ)

それは、春の訪れを誰よりも早く告げる「梅」の花です。
古来、梅は「百花の魁(さきがけ)」と呼ばれてきました。 他の花々がまだ冬の眠りの中にいるとき、凍てつくような空気の中でいち早く蕾をほころばせ、清らかな香りを放ちます。

自然の移ろいをより深く体感する喜びは、まさにこの「梅」の花が初めて教えてくれました。
梅の花と一緒に歓びたい

遠目から見ると一見枯れ枝のようにも見える木。

しかし、近くに寄って目を凝らせば、枝先で蕾がふっくらと膨らんでいます。そんな中、一輪だけ咲き始めている梅を見つけられたときは、この上ない喜びが込み上げます。

桜のように満開の花を愛でるのも素敵ですが、梅の魅力は、その「蕾」の瞬間にこそ宿っているように感じられます。

「この瞬間を逃したくない」という想いに駆られ、この時期になると何度も梅園へ足を運びたくなります。

なぜこれほどまでに蕾に惹かれるのか。それはきっと、蕾が花開く瞬間のエネルギーを、梅の花と一緒に歓びたいという願いが心の根底にあるから。

思わず蕾や開きかけの花びらにレンズを向けてしまうのも、その生命の躍動に共鳴しているからかもしれません。

今年はタイミングよく、大雪が降った翌日に梅園を訪れることができました。
雪という凍てつく寒さの中にありながら、凛と開く梅の花。そこからは、愛らしくも力強い、圧倒的な生命力を感じます。その姿を目の当たりにし、「今年もいよいよ春が来た」と、心からの祝福を贈りたくなります。
心の中にある「小さな蕾」
さて、今宵は如月の新月の夜。新月は、新たな種をまき、内なる願いを育む「始まり」の時です。
お部屋の中で一筋のお香を焚き、立ち上がる煙の先に、まだ見ぬ春の景色を想ってみる。 それは、目に見える華やかさよりも、内側に秘められた「兆し」を五感で受け取る、豊かなひとときです。
「こうあらねばならない」という日常の喧騒を離れ、ただ、季節が移ろうままに、自らを置いてみる。 香りの余韻に身を委ねながら、心の中にある「小さな蕾」をそっと見つめてみませんか。

耐雪梅花麗
(ゆきにたえてばいかうるわし)
幕末の志士・西郷隆盛が遺したこの言葉は、梅の花は雪の冷たさに耐えてこそ、その姿はより麗しく、その香りはより高潔なものとなる、と説いています。

梅にとっての冬はただ過ぎ去るのを待つ時間ではなく、その冷たさを自らの力へと変え、芳しき香りを醸成するための欠かせない季節。
それは私たち人の歩みもまた、同じなのかもしれません。

人生の歩みは実に様々です。今、もし何かを成し遂げようと踏ん張っている最中であったり、思うように進まない寒さの中にいると感じたりしたらば、この「寒さ」は、歩みを拒む壁ではなく、唯一無二の花が最も美しく開くために必要な、開花のための大切な準備時間なようなもの。
雪に耐える時間が深ければ深いほど次に訪れる開花の喜びは、より深く、清らかなものへと変わるはずです。

また、大切なのは外側の景色に惑わされることではなく、自らの内側に宿る「時が満ちる足音」を静かに見守ることでもあります。

だから、「周りと比べて、自分はまだ蕾のままだ」と焦る必要はありません。
目に見える華やかさよりも、内側に秘められた「兆し」を五感で受け取れる豊かなひとときです。
梅が桜を羨むことがないように、人にはそれぞれ、その人にしか放てない香りとふさわしい咲き時があるんだよ、と梅が説いてくれてるように感じてなりません。

梅自開
(うめおのずからひらく)
禅の言葉に『梅自開(うめおのずからひらく)』とあるように、花は時が至れば、必ず自らの力で開くもの。
この新月からゆっくりと、けれど確実に。 自分自身の巡りを信じて、一歩ずつ歩みを進めてみてください。

雨水の水滴が大地に吸い込まれていくように、香りの余韻が、皆さまの心に優しく染み渡りますように。
百花に先駆けて咲く梅のように、今の心の蕾が、いつか誰かの心を明るく照らす、春の訪れを祝う花となりますように。
季節の巡りとともに、皆様の心に安らかな「安心立命」の日々が訪れることを、心よりお祈りしております。今宵もどうぞすてきな新月の夜を香と共にお過ごしください。
※本記事を彩る写真は奈良県天川村、東京都府中郷土の森にて、Juttoku.が心を込めて撮影いたしました。 掲載写真の著作権はすべてJuttoku.に帰属します。無断転載・転用はご遠慮ください。






