花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

梅雨の気配が色濃くなり、街角の紫陽花が美しく咲き誇る季節となりました。
不思議なもので、紫陽花はさんさんと降り注ぐ太陽の光の下よりも、しとしとと雨に打たれているときのほうが、より一層生き生きと、瑞々しく輝いて見えます。

都会にいると長く続く雨を疎ましく感じてしまうこともありますが、自然の中に身を置くと、その捉え方や感じ方も変わるものです。 それは、田植えを終えたばかりの苗にとっても、山々の木々にとっても、これから迎える過酷な夏を前に、この季節の雨が天からの貴重な恵みそのものだからでしょう。
春に芽吹いた若葉は日に日に色濃く青々とした葉を広げていますが、梅雨の雨をたっぷりと受け、その青葉がみずみずしく喜んでいるようにも感じられます。

そして、その雨音や景色に細やかな美しさを見出してきたのも、日本人ならではの感性かもしれません。春雨、五月雨、時雨、そして翠雨……。日本には、雨の風情を表す美しい言葉が数え切れないほど存在します。
洗心
こうして自然の中に身を置きながら滴る雨を眺めながら、絶え間なく続く心地よい雨音に、不思議と絡まっていた思考がほどけます。

どこか無意識のうちに、気が張り詰めていたのでしょうか。「これをしないと」「あれも急がないと」と頭を巡らせて動いてみても、なかなか思うように進まない。そんな状況への歯痒さや、時に抱いてしまう苛立ち。

自分の内に様々な感情の淀みが浮き彫りになりましたが、しとしととしたたる雨がそっと一緒に流してくれるそんな感覚がありました。
水のように
こうしてしばらく縁側から外の雨を眺めていると、ふとこの言葉が思い起こされました。

「上善は水の如(ごと)し」
古代中国の思想家である老子が残したこの言葉は、「最も理想的な生き方は、水のようなものである」という教えです。これまでも耳にしたことのある言葉でしたが、その真意までは肚(はら)に落ちていませんでした。

上善は水の如し。
水は万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。
故に道に幾し。
水は万物を潤し、決して他のものと争わない。
丸い器に入れば丸くなり、四角い器に入れば四角くなる。
常に柔軟に形を変えながら、高い所から人々が嫌がる低い所へと謙虚に自然に流れる。

あらためてこの言葉の真意に触れたとき、不思議と肩の力が抜けた感覚がありました。
『もっと柔軟になろう』
「頑張らないといけない」と自分を鼓舞し、なんでも力技で突破しようとしては壁にぶつかる、そんな不器用さを卑下することもありました。けれど今は、そんな自分さえも「それでいい」と許し、肯定できるゆとりが。

水の柔軟さや謙虚さに倣う「水のように生きる」という教えが、乾いた心にじわっと染み渡りました。
逆らわず、しなやかに
すると不思議なことに、これまで煮詰まっていたことや、いくら進めたくても進まなかった物事が、するすると動き出したのです。「あんなに悩んでいたのに、こんなにも楽々といくものなのか」と自問自答したくなるほど、展開が変わっていきました。

振り返ると、これも「水」が教えてくれたのだと感じています。

今までは、目の前に大きな岩があれば、それを力ずくで退かそうと力みながら立ち向かっていたのだと思います。でも、岩は全く動きません。
しかし、「水」は違います。目の前に大きな岩があろうとも、自由自在に流れを変え、どんな隙間にもしなやかに入り込んでいきます。さらには、絶えず流れ続けることで、いつしかその硬い岩をも削り取っていくのです。

まさに、「水」という存在そのものが、その在り方を体現して教えてくれているように感じてなりませんでした。
水のように生きる
さて、今宵は、水無月の満月。 香を焚きながら、静かに、そしてゆっくり呼吸をしながら流れる水を自分の内側に感じてみてはいかがでしょうか。

竹密にして流水の過ぐるを防げず
禅の言葉で、「どれほど竹が密集して生えていても、そこを流れる水を引き留めることはできない」という意味です。水は竹と争うことなく、柔軟に形を変えながら、たださらさらと通り抜けていきます。

このしなやかな水の在り方は、日本画家の今村紫紅が残した「暢気(のんき)に描け」という言葉にも通じるように感じます。気負わず、執着せず、その時々の状況に合わせて形を変えながら進んでいく。
一方で、水にも強い意思が働いていると思います。
水の如く生きるべく、教えとして説いてくれている方がいます。
それは、戦国時代の武将であり、豊臣秀吉の天下統一を支えた天才軍師とも称えられた「黒田官兵衛」です。
「水五則」と題した人生訓をのこしたといわれます。
一.自ら活動して他を動かしむるは水なり
(自ら動いて模範を示す )
二.常に己の進路を求めて止まざるは水なり
(たとえ障害や壁があったとしても、自ら考えて道を拓くことを心がける)
三.障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
(流れを止めることなく、信じた道に向かってあきらめることなく進む)
四.自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり
(どんなものでも受け入れる度量をもつ)
五.洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり
雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)
たる鏡となりたえるも其(その)性を失はざるは水なり
(温度によって蒸気となったり、雲や雨、雪やあられに変化しても入れ物を変えればカタチも丸や四角に変わるのが水。だけど水の性質は失われない。 与えられた環境の中で、柔軟に変化し、成長する)
黒田官兵衛の言葉から見えてくるのは、ただ流されるだけの姿ではありません。そこにあるのは、しなやかさの中に宿る「真の強さ」です。

それは、常に形を変えながらも、決して本質を失わない「内なる信念」を貫くこと。
ある意味でそれは「自分自身」をあるがままに受け入れることなのかもしれません。それこそが、いかなる状況にも適応できる、最も強靭な生き方なのでしょう。

雨音が静かに響くこの季節も残りわずか。
雨の日にしか出会えない静謐(せいひつ)な時間を思うと、いざ過ぎ去るとなれば名残惜しいものです。
その名残の雨を味わいながら、今宵はお香を焚き、静かに、そしてゆっくりと深呼吸をしながら、ご自身の内側をさらさらと流れる「水」の気配を、心ゆくまで感じてみてください。

形にとらわれず、しなやかに。そして、内なる想いにはまっすぐに。
佳き満月の夜をお過ごしください。






