新年のご挨拶(平成31年己亥)

 

新春のお慶び申し上げます

新たな年を迎えるにあたり、一言ご挨拶を申し上げます。

はじめに、昨年も大変多くのお客さまにJuttoku.にてお買い物、ご利用いただきましたこと、改めまして御礼を申し上げます。

昨年は“初志に還る”ということを念頭におき、“まずは自分たちが安らかに”ということに日々意識することを心がけておりました。お香を焚くひと時をつうじて心安らかなときをご提供したいというのが、初志であり今でもかわらずその想いでおります。ご提供させていただく私たち自身に“心のゆとり”を取り戻したことで、またみえてくる景観やその日々の生き方も変わってきた、心のうちから“幸せ”をかみしめるということをあらためて再確認した年でもありました。

 

新しい時代にむけて

迎えた新しい「亥年」は十二支の中でも一番最後の年、そして「平成」の元号も最後の年ということもあり、ひとつの時代を終えて次に向かう“未来への架け橋の年”になるのではないでしょうか。

また一方で、世相では“AIの年”ともいわれています。私どもも昨年はよく“AIとは”ということを内々にて議論しておりました。個人的にはAIをはじめロボットなどの進展に人間が人間でなくなるということに大変危惧していた者でしたが、新たに学び、そして知ることにより、そこにある技術の神髄は“人間が人間らしく生きる世界”というのを実現するという志があるということも知りました。

 

人間らしく生きるとは

そこでまた思った“人間らしく”というのはどういうことなのか・・・。生物学的には人間として生存しているにもかかわらず、そこにあえて“人間らしく”というところにひっかかり禅問答がはじまりましたがようやくそこに個人的な私見でもありますが、「感じる」というところにこたえがみいでた気もしております。

 

喜び、悲しみ、怒り、幸せ、感情は種々様々ではありますがその瞬間時々に感じる感情も。また、「~そんな気がする」という気配もまた“感じる”のひとつ。

 

日本人は特に「なにかにおう」という言葉の表現もあるように、目に見えない気配・雰囲気から何かを“感じ取る”ということにも殊更長けていると思います。

 

 

香を聞く

特に香りというのは“目に見えない”ものでありながら、しっかり存在して、そして心の内々にまで包みこんでくれるもの、まさに五感をつうじて感じるものの一つ。日本には1500年以上もの長い香の歴史があり、その背景には宗教上の利用用途だけでなく、私たちの暮らしに根付きそして寄り添いながら培われてきました。それは古の人々も、“香をつうじて何かを感じる”ということをわかっていたからかもしれません。

その一つとして日本には今でも香道において「香を聞く」という表現がされています。元は中国から渡ってきた表現ではありますが、言葉の意味としてはその香りの世界を心で感じ取るというのがあります。目を閉じて香りから聞こえてくる世界を感じる。すてきですよね。そして、それはその人生をも薫らせて聞くこともできるのではないでしょうか。

 

Juttoku.は今年も皆々様の心の世界がより馥郁たる芳香の香りで染め上げられる、そのお役に少しでもたてるように自然の香をお届けできるようより切に努めてまいりますとともに、何にも囚われることなくただただ心落ち着かせ“何かを感じ取る”そんな空間や場所をも今年はご提供してまいります。

 

皆さまにとりまして2019年も“たいらけく、やすらけく”素晴らしい一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。

 

 

Juttoku.

 

 

 

 

 

 

 

 

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