Juttoku.店舗便り
Juttoku.の世界観や香りを五感で感じ取れるJuttoku.店舗。本コラムでは、お店でのあれこれをお届けします。
春めいて
朝晩はまだ冷え込みますが、日中はあたたかな陽ざしがふえ、少しずつ春めいてきていますね。
店内にも、春を少しでも感じていただこうと思い「蕨」をいけてみました。
早春に芽を吹く蕨を「早蕨(さわらび)」といいます。厳しい冬を乗り越えて、最初に野山にあらわえる蕨は、春の訪れを知らせる「梅」と同じように、心惹かれるものがあります。
春を感じ、春に思いをめぐらす
さて、今月も多くの皆さまに香づくり体験にご参加いただきました。年はじめの1月は“新しい年への抱負”や“初志”を香りで表現される方が多くいらっしゃった印象がありましたが、今月は“春”をテーマにされる方が多かったような気がします。
▲春の香 (初春ノ花ノ香)
▲清らかなひざし (清々と且つ温かく)
▲澄水ノ香 (春のはじまり)
▲雅福ノ香 (福よかな彩り)
始めあるものは必ず終わりあり
“春”というこれからいよいよ芽吹き、そして“はじまり”を祝う気持ちになるときではありますが、「始めあるものは必ず終わりあり」ということわざがあるように、生あるものは必ず死に、栄えるものはいつか滅びる、自然そのものを姿をうたうかのように、今月は考え深いテーマの香りがありました。
▲死ニ際ノ香
これは、死ぬ直前に自分が嗅ぎたい(聞きたい)という香りをテーマに調香されたそうです。
会話の中で死ぬ前に食べたい食事は何か?等は聞いたことがありますが、死ぬ前に嗅ぎたい香りというのはこれだけ香りの中にいたにも関わらず初めて考える世界でした。
もちろん“いい香り”に包まれたいという漠然としたイメージはありますが、はたしてそれがどういう香りなのか・・・・、もう少し意識して考えてみたいなという思いにかられます。
生き様を香りで
そのお話を聞いていたとき、ふと戦国時代の大名の話を思い出しました。
戦国時代になると、平安時代の薫物の風習から、一片の香木の香を聞く“聞香”の風習が出来上がります。それは、生きるか死ぬかという動乱の時という背景を考えても、手間暇かけてゆっくりつくる薫物よりも、香木単体だけのほうが手早く楽しめる。そして、香木そのものに、自分の命を照らしあわせながら、香を慈しんでいたともいわれています。
戦の前に香を聞き心を鎮めていたという武将もいるなかで、ある武将は、自分の兜に香を焚きつけていたといいます。
兜をかぶり香りを感じるためにというのも多少なりともあったのかもしれませんが、真の目的はそこではなく、敵に自分の首をはねられたとしても、兜からの香りでその武将の生き様なりを感じさせるためもあったといいます。
実際にそのような話が残っており、軍功の証しとして斬首されたものが敵の陣に運ばれた際、敵の武将が外された兜から妙香を感じ得て、相手を尊び偲んだといいます。
死ぬ間際に嗅ぎたい香りと、また少し違う視点かもしれませんが、普段いかに自分がどのような香りに包まれているのか、薫っているのか・・それもまた自分の“生き様”なようにも感じます。
人それぞれの
いつも買いに来てくださる常連のお客様のおひとりがこの間、「香を焚いている時間って、夜の究極のリラックスの時間なのだけど、能の舞台を観ているときに感じるあの空気感もたまらないのよね~」と。
その方は毎月、神楽坂にある「神楽能楽堂」に能を観にいかれているそうです。
人それぞれリラックスの時間の楽しみ方。Juttoku.の香もその一役を担えていると幸いですが、いろんな楽しみ方があるというのもまた興味深いなと思う今日この頃です。