『何のために生まれて』~長月の満月の夜~

花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。


ひと雨ごとに、だんだんと秋が深まってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
今年の夏は、全体的に日照時間が短かったそうです。うだるような暑さは敬遠したくなりますが、眩しいほどの太陽の光を十分に浴びられなかったのは、夏好きとしては不思議と寂しさが募るものでした。

9月に入ってからも連日の雨が続いていましたが、台風が過ぎ去った後の束の間の晴れ間には、ここぞとばかりに散歩に出かけました。

桜の木を見上げると、あれほど青々と真緑だった葉が、少し黄色味が見え隠れしており、秋の始まりをより一層実感します。



そしてふと足元を見ると、一枚の落ち葉が目に留まりました。


「この葉は、どういう想いで木の枝から落ちたのだろうか。生命を全うした!という前向きな気持ちなのか、
それともこの台風で、泣く泣く枝から落ちてしまったのだろうか」


そんな疑問が、ふと心に湧いてきました。

「頑張る」のではない

その時、先日子どもにかけた言葉を思い出しました。

その日は雨が降っていて少しどんよりとした天気で、彼も子どもながらに少し気分が塞いでいるようでした。
そんな姿を見ながら、「頑張ろう!」という声がけではなく、「今日もたくさん、いろいろなことを味わおう!」と声をかけ、互いに笑顔で見送ったのです。

そこには、「生きていると良いことばかりではないけれど、どんな経験も人生の愛おしい彩りとして味わい尽くしてほしい」という親としての願いと、「歯を食いしばる生き方ではなく、もっと楽しみながらいこうよ」という自分自身にもつうずるような思いが込められていました。

しかし、その言葉がごく自然に口をついて出たことに一番驚いたのは自分自身です。 かつてこのコラムでで『かぐや姫』から得た学びを綴りましたが、あの時から心に留めていたことが、ようやく腑に落ち、ひとつの境地として形になったから自然と発せられたのかもしれません。

そんなことに思いを馳せながら、ふたたび足元の落ち葉に目を落としました。

きっとこの葉も、夏の短い日差しや激しい雨風など、いろんなことを味わい尽くして、いまここにあるのだろう。そう思うと、その姿が少し誇らしく見えましたし、子どもが元気いっぱいに遊ぶ姿にもまた、これから起こる様々な出来事を味わい尽くしていくであろう、命のたくましさを重ね合わせてしまうのです。

「アンパンマンのマーチ」からの問いかけ

思えば、彼がついこの間まで夢中になっていた『アンパンマン』にも、通底するものがあるのかもしれません。

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ
ーアンパンマンのマーチより

幼い頃は、言葉の意味というより単なる“音”として記憶していたに過ぎない慣れ親しみのあるこの歌も、歳を重ねて大人になった今、あらためて歌詞をの言葉を噛み締めてみると、「何のために生まれて、何をして生きるのか」という真っ直ぐな問いかけが、深く胸に刺さったのです。

そこで気になり、やなせたかし氏の著書を何冊か読んでみると、まさにそのことについて触れている一節がありました。

「2〜3歳の子どもに、
何のために生きるかっていっても、
子どもにはわかんないよ」とよくいわれます。

でも、わからなくてもいいのです。

わからなくても「何のために生きるか」
というテーマで作っていれば、
子どもは何となく心にしみ込んでいって、
何かしら体の中に入っていきます。

(中略)

よくわからないままであっても、
考え続けて生きていけば、そのうちに、
自分はなんのために生きているのかが見えてくる。
いつわかるかは人それぞれだ。
ぼくの場合、それがわかったのは、
人生もかなり後半に入ってからだった。」

たしかに、日々の生活の中で「何をして生きるのか」と思い悩むことは、誰もが経験します。しかし、アンパンマンが歌うように、そこに「何のために生まれて」という問いが加わると、それは単なる自我を越えた「使命」や「天命」といった気迫さえ帯びてくるのです。

そう思うと、やなせ氏が導き出した「答え」を早く知りたいという思いに駆られました。それさえ知ることができれば自分の生き方も変わるのではないか、という欲が一瞬頭をよぎったのです。

しかし、さらに読み進める中で出会ったのは、違うテーマの中で語られていた次のような言葉でした。

この銀河系宇宙の中で、
生命のある惑星は地球だけだ。
絶妙なバランスで地球に生命が誕生し、
ぼくらは人類になった。
一人の人間誕生のドラマもまた、奇跡だ。

生命が芽生えるのは、十億分の一ぐらいの確率で
選ばれたひとつの精子が卵子と結合して、
生命としての活動をはじめた瞬間だ。
生命の誕生そのものが奇跡なのだ。

ぼくらはみんな奇跡の人なのである。

人生は喜怒哀楽、喜びもあれば、悲しみもある。
その喜怒哀楽を次の世代に伝え、
生命をつないでいくのだ。

「何のために生まれてきたのか」という壮大な問いの答えは、遠くにある特別な使命などではなく、日々の喜怒哀楽を味わい尽くし、命を繋いでいくことの中にこそある。やなせ氏の言葉は、そう教えてくれているようでした。 それはまさに、かつて『かぐや姫』から学んだ「地球で喜怒哀楽を味わうことの意味」そのものです。過去の気づきが、ここに来て『アンパンマン』を通じて一本の線で繋がり、深く腑に落ちました。



そう考えると、私たちがこの星に生まれ落ちたこと自体が奇跡であり、起きる出来事のすべてが人生の愛おしい彩りなのです。

日常の中にあるささやかな「彩り」

さて、今宵は長月の満月の夜。 お香を焚きながら、ご自身の日常の中にあるささやかな「彩り」に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

「ごくありふれた日常の中に
さりげなく
ひっそりと
幸福はかくれています」
ー『ちいさなてのひらでも』

かつて日本の民俗学を切り拓いた柳田國男は、日本の暮らしを「ハレ(非日常)」と「ケ(日常)」という言葉で区分けしました。これまでは言葉の響きから、「ハレ」には華やかな彩りがあり、対する「ケ」の日常はどこか単調な白黒の世界のように感じていたものです。

しかし今は、その「ケ」と呼ばれる何気ない日常の中にこそ、数え切れないほどの美しい彩りが溢れているのだと心から思えます。

ここ最近続く連日の雨もまた、私たちが生きる「ケ」の日常のひとコマです。どうしても心まで塞ぎ込みがちになりますが、この冷たい雨が木々をたっぷりと潤し、やがて目にも鮮やかな紅葉という「彩り」を連れてきてくれます。

「悲喜こもごも」という言葉がありますが、

まずは悲しみが先にやってくる。

人間が生きていることを感じるのは、 悲しいときのほうが多いんですね。

──『ちいさなてのひらでも』

やなせ氏の言う「先にやってくる悲しみ」とは、まさに木々を潤す冷たい雨のことなのでしょう。雨のような悲しみや思い通りにいかない日々をくぐり抜けるからこそ、その後に広がる景色はより一層深く、美しく色づくのです。これから重ねていく日々も、そんなふうにすべての出来事を人生の「彩り」だと丸ごと肯定できれば、見えてくる景色は大きく変わるはずです。

「幸福は本当はすぐそばにあって、
気づいてくれるのを待っているものなのだ。

今の世の中には希望がないと言うけれど、
希望も幸福も考え方ひとつだと思う。」

ー「ちいさなてのひらのなかに」

やなせ氏の言葉のように、良いこともそうでないことも、すべて人生の大切な味わいなのだと面白がる「考え方(視点)」を持つこと。そうしておおらかに心を開いていれば、この分厚い雨雲の向こうにある温かい光を、いつでも胸に感じていられる気がします。

今宵もすてきな満月の夜をお過ごしください*

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