花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。
暦の上では立冬を過ぎ、本格的な寒さもすぐ近くまで。「秋」
飛花落葉(ひからくよう)
飛び散る花、降りしきる落葉。前者は春を彷彿させ、
風が吹くたびに木の枝が揺れ、
でも、そんな心の声をあざ笑うかのように風は吹きやまず、
『あぁ、風よ。いいさ、あざ笑ってくれ。』
どこか不貞腐れるかのように、視線を下におろす。すると、
『そっかぁ。上ばかり見ていただけれど、足もとにもう一度目を向
風が教えてくれたのだと思うと、
東風が吹いて春がきて、南風が吹き夏になり、そして、西風が吹き
西風が吹き込み、はきだしてくれるのは、夏の暑さだけでなく、煩
こうして木々が何にも逆らわずに、
自然の摂理に逆らわずにそのままに身をゆだねていく。
さて、今宵は霜月の満月。香を焚きながら、夜空を見上げ、風、
こうして風が吹き荒れていても、自然にあらがうことなくちゃんと
そう思ったとき、映画「あん」のワンシーンを思い返しました。
(▲(映画『あん』より)
「あんを炊いているときのわたしはいつも、小豆の言葉に、
耳をすましていました。それは、 小豆が見てきた雨の日や晴れの日を、想像することです。 どんな風に吹かれて小豆がここまでやってきたのか、 旅の話を聞いてあげること。そう、聞くんです。」
このセリフを聞いたとき『香を聞く』
(▲映画「日々是好日」より)
そして、樹木希林さんつながりで、「日々是好日」にも、
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短い掛け軸に、大きく二文字、書かれていた。
「聴雨」
(一部中略)
実は、前にもこの掛け軸は見ていた。けれど、
「雨が降ってるから、雨の掛け軸なんでしょ?」と思っていた。
私は「文字」という記号を読んでいただけだったのだ。
「雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。
(一部中略)
過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。
道はひとつしかない。今を味わうことだ。
過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できたとき、
雨は降りしきっていた。
雨の日は、雨を聴く。雪の日は雪を見る。夏には暑さを、
どんな日も、その日を思う存分味わう。
(一部中略)
私たちは雨が降ると「今日はお天気が悪いわ」などどいう。
(一部中略)
その時、自然に薄暗い長押の上に目がいった。そこに、
「日々是好日」
(毎日がよい日)
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(映像のなかでこの情景の美しさが描写されていたので、 この部分は本の「日々是好日」 から一部抜粋させていただきました。)
風にあらがうように抵抗していた自分がまるで遠い存在に感じるぐ
”自然と共に生きる“ということを意識していたようで、そこには
そうではなく、「声を聞く」。それは、風の声であり、
ありのままの自分でいることで、どんな日でも、
日々是好日。
2020年も残り1か月をきろうとしていますが、残りの日々が“
すてきな満月の夜をお楽しみください*
(編集後記より一部抜粋)
(▲画像は左記サイト内からお借りしました:https:// prtimes.jp/main/html/rd/p/ 000000758.000005069.html)
映画の中の徳江さんの台詞ですが、
「私たちはこの世を観るために、聞くために生まれた。
この世の中はただそれだけを望んでいました。だとすれば、 教師になれずとも、勤め人になれずとも、 この世に生まれてきた意味はあるのです」
(映画「あん」より)
“私たちはこの世を観るために、聞くために生まれた。この世は、
それは、樹木希林さんの著書『一切なりゆき』
『楽しむのではなくて、面白がることよ』
「楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。
面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中」
世の中面白いことだらけ。
日々是好日!!
(2020年11月満月の夜に配信した月便りの内容を一部変更して転載しています)
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