日々是好日 ~霜月の満月の夜に~

花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

 

暦の上では立冬を過ぎ、本格的な寒さもすぐ近くまで。「秋」から「冬」への季節の変わり目を愛しむことができる今の季節は散歩が楽しいです。

飛花落葉(ひからくよう)

飛び散る花、降りしきる落葉。前者は春を彷彿させ、おそらく桜の花びらが、そして、後者は落葉樹の葉であるが、飛落する光景が季節でこうも違って見える。そして、どこか秋の落葉には「儚さ」と「哀愁」を感じます。

 

風が吹くたびに木の枝が揺れ、そして揺さぶられるかのように葉がさらさらと落ちていく。この色づいた木々の美しさをもっと楽しみたいからなのか、寒い冬に立ち向かう心の準備ができていないからなのか・・・自然の命の隆盛する夏から命が沈静する冬のはざまにいる中、心のどこかで『風よとまれ・・』と思ってしまいました。

 

でも、そんな心の声をあざ笑うかのように風は吹きやまず、さわさわと音を響かせながら木々を揺らしていきます。

『あぁ、風よ。いいさ、あざ笑ってくれ。』

どこか不貞腐れるかのように、視線を下におろす。すると、どこか安堵した自分がそこにはいました。

 

『そっかぁ。上ばかり見ていただけれど、足もとにもう一度目を向けるときなのかも。』

風が教えてくれたのだと思うと、この心地よい風に自分も身をおきたくなりました。そして、そこにはもう抵抗する自分はいませんでした。この自然の中に身をゆだねたいと。

 

東風が吹いて春がきて、南風が吹き夏になり、そして、西風が吹き秋がくる。こうして今吹きかけてくれているこの風は「西風」の最後の後押しで「木枯らし」だと思うと、はかなく、恋しくなります。

西風が吹き込み、はきだしてくれるのは、夏の暑さだけでなく、もはらい落してくれているのでしょう。だから、「白秋と表現されるのも、夏の朱、炎のような煩悩が西風とともに薄らぎ、黄色になり、そしてそれがより澄んでいくとになる。

 

こうして木々が何にも逆らわずに、風の吹くままに木々を揺らし葉っぱを落とすのも、そうすることで葉が土に還り、養分へと変わり、根っこを太くし、そしてまた芽をだしていく準備にはいっているわけで。

自然の摂理に逆らわずにそのままに身をゆだねていく。もっとこの風の声に耳を傾ければよかったとも思いました。

 

さて、今宵は霜月の満月。香を焚きながら、夜空を見上げ、風、月、木々たちにそっと耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

こうして風が吹き荒れていても、自然にあらがうことなくちゃんと心の耳で聞いてみるとそこにはいろいろなことを教えてくれているように感じました。

そう思ったとき、映画「あん」のワンシーンを思い返しました。


(▲(映画『あん』より)

 

あんを炊いているときのわたしはいつも、小豆の言葉に、耳をすましていました。それは、小豆が見てきた雨の日や晴れの日を、想像することです。どんな風に吹かれて小豆がここまでやってきたのか、旅の話を聞いてあげること。そう、聞くんです。


このセリフを聞いたとき『香を聞く』にも通ずる同じ世界観だなぁと感銘をうけていましたが、小豆がみてきた世界を聞く、つまり、そこには原料である素材本来の素の姿に感謝と敬意があり、この映画では全編を通して「本質を見る」「声を聞く」ということを問いかけてくれているように思います。

 


(▲映画「日々是好日」より)

 

そして、樹木希林さんつながりで、「日々是好日」にも、心に響く世界が。
==================================================
短い掛け軸に、大きく二文字、書かれていた。
聴雨

(一部中略)

実は、前にもこの掛け軸は見ていた。けれど、
「雨が降ってるから、雨の掛け軸なんでしょ?」と思っていた。
私は「文字」という記号を読んでいただけだったのだ。

雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。あなたの五感をつかって、今を一心に味わいなさい。そうすればわかるはずだ。自由になる道は、いつでも今ここにある

(一部中略)


過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。
道はひとつしかない。今を味わうことだ。

過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できたとき、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きていることに気付くのだ・・・。

雨は降りしきっていた。私は息詰まるような感動の中に座っていた。
雨の日は、雨を聴く。雪の日は雪を見る。夏には暑さを、冬には身の切れるような寒さを味わう。

どんな日も、その日を思う存分味わう。

(一部中略)

私たちは雨が降ると「今日はお天気が悪いわ」などどいう。けれど、「悪い天気」なんて存在しない。雨の日をこんな風に味わえるなら、どんな日も「いい日」になるだ。毎日がいい日に・・・。

(一部中略)

その時、自然に薄暗い長押の上に目がいった。そこに、いつもの額がある。
日々是好日
(毎日がよい日)


=========================================
(映像のなかでこの情景の美しさが描写されていたので、この部分は本の「日々是好日」から一部抜粋させていただきました。)

 

風にあらがうように抵抗していた自分がまるで遠い存在に感じるぐらい今感じ見える世界は大きく変わりました。

”自然と共に生きる“ということを意識していたようで、そこには“合わせなければ”という自我が先にあって、無理やり合わせようとしていた自分がいたことにも気づき。

 

そうではなく、「声を聞く」。それは、風の声であり、木々の声だったり、そして、自分自身の声でもあったり。声を聞けるということは、“ありのまま”に向き合い、味わえるからこそ聞けるわけで。そうすると、自分もありのまま”の自分でいられることが心地よくなり、何も恐れることはなく、とても心が軽くなりました。

ありのままの自分でいることで、どんな日でも、どんな瞬間でも楽しむことができる

日々是好日

2020年も残り1か月をきろうとしていますが、残りの日々が“好日”であられますように*
すてきな満月の夜をお楽しみください*

 

(編集後記より一部抜粋)

(▲画像は左記サイト内からお借りしました:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000758.000005069.html

映画の中の徳江さんの台詞ですが、樹木希林さんが演じ発してくれるからこそ、より心に響くものがありました。

 「私たちはこの世を観るために、聞くために生まれた。この世の中はただそれだけを望んでいました。だとすれば、教師になれずとも、勤め人になれずとも、この世に生まれてきた意味はあるのです
(映画「あん」より)

 

“私たちはこの世を観るために、聞くために生まれた。この世は、ただそれだけを望んでいた。” だとしたら、自分の目で観て、心の耳で聞いて、世界を楽しめばいいのだと。

それは、樹木希林さんの著書『一切なりゆき』のなかで書かれている言葉にもその答えがあるような気がしました

楽しむのではなくて、面白がることよ

「楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中」

世の中面白いことだらけ。
日々是好日!!

 

 

 

(2020年11月満月の夜に配信した月便りの内容を一部変更して転載しています)

 


「日々是香日 月便り」と題したメールマガジンを、毎月満月の夜にお客様にお届けしております。お香のことや、自然のこと、お店のことなど、少しでもほっとしていただけるお便りを心掛けています。もしよろしければ、この機会にぜひご登録ください。
⇒Juttoku.「日々是香日 月便り」登録はこちらから。

カテゴリー: 1-日々是好日、日々是香日, 月の満ち欠け, 花鳥風月 パーマリンク