天地人の三徳から織りなされるこの美しき世界

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年始のご挨拶に

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2015年新しい年もはじまり2週間が経ち、約1ヶ月ぶりにまた天川に参りました。去年もちょうど今頃に天川に来ていたのですが、その時は防寒をきちんとしていないと寒くてしかたがなかったのですし、雪が積もるほど降っていたので天川までの道中も心配していたのですが、今年は驚くほど暖かったです!(ただ・・・それは、到着した日だけでした・・)

今回は新しい年を平穏に迎えることができたことへの感謝をお伝えしに、また、新しい香りの打合せや村の方々との交流やご神事にも参加するべく3日間ほど滞在し、充実した時を過ごさせていただきました。

そして、この3日間を通じてあらためて、「自然」への敬愛の念、また私たち人間は「自然」に生かされているということを強く実感しました。

 

人間の力は大自然の前では無力であること

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今回参加させていただいたご神事がとりおこなわれた1月17日は、あの阪神・淡路大震災から20年という年月が経った日でもありました。

ご神事の冒頭では、宮司様により鎮魂の儀も執り行われ、お話をつうじて皆それぞれが20年前の今日を思い返しておりました。

噴火、地震・・・・、何時起きるか知れない自然災害は私たち人間にとっては脅威に感じます。何故ならば・・一瞬にして多くの尊い命が犠牲になってしまうから。 ただ、同時に、人間の力は大自然の前では無力であることが骨身にしみます。

 

たとえ一粒たりとも天地人の三徳によりて生ず

これは二宮尊徳の書物に残されている言葉です。
天が太陽の光と雨水を与え、田畑の土が作物を育て、そして人間の働きがあって米ができる。
つまり、人が働かず天地の力がなければ、米は一粒たりともできない、ということを説いています。

近年科学がより発展しビニールハウスや人口光による栽培などできますが、制御できない自然が司る天候・地震には太刀打ちすることさえできず、大雪などがあればビニールハウスも簡単に破壊されてしまいます・・・。

ご神事の最後に宮司様は「ここ最近は、自然に対して人間が慢心しているときがある。生きとし生けるもの一人として、何ができるか、一人ひとりが悟ることが大切である」と仰っていましたが、まさにその通りであるとしみじみ感じました。

天地人の三徳、すなわち、神と自然と人間の力によりこの世は成立しており、どれ一つとして抜きん出るものもないのですね。

 

自然と共存することこそが美しい暮らし

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こうして”自然”との向き合い方をあらためて学ばせてもらい思うこと。それは、自然に順応し共存してきた日本人の暮らしというは、合理化・近代化していく社会風潮のなかで見捨てられていってしまっておりますが、忘れずに自分たちの世代で絶やすことなく後世にまで残していけるように紡いでいかなければいけないと思いました。

 

日本の香文化の発展の背景には、日本人が元来自然と寄り添いながら暮らしていた自然共存の考えをもっていたからだとも考えており、また、Juttoku.が扱うお香/アロマも原料は全て「天然」のもので自然の中で自然に生息して育った木樹、花、葉、根・・・全ては自然に属している「自然の産物」なので、日頃より自然に対して敬意をもって接してきましたが、今回の旅をつうじてあらためてそ自然への敬愛の念を強く痛切に感じました。

 (Juttoku.の考えについては「こちら」にてご紹介させていただいております。)

自然に順応し共存していくことは、まさに日本人の暮らしそのものであり、大切にしたい”美しい暮らし“でもあると強く実感しました。

 

皆さまも、ぜひ”美しい暮らし”を心がけてみてはいかがでしょうか。 きっとその暮らしの先には、自然も私たちの心も美しい旋律を奏でる平和な世界があるのと信じ・・・♪

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

«補足:ご紹介までに・・・»

四季折々の天川の風景。

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 SONY DSCSONY DSC降り注ぐ雪に包まれ・・・また異空間な雰囲気です。

カテゴリー: 1-日々是好日、日々是香日, Juttoku.便り, 奈良県吉野郡天川村 パーマリンク