花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。
先月末に、数年ぶりに御田祭に参加してきました。新しい元号、新しい時代の始まりに稲穂をお田植えできる喜びでいっぱいでした。
御田祭とは
御田祭とは田の神をまつり、五穀豊穣を祈願するもので、女性が絣の着物にたすきを巻いた早乙女姿で田植えを行います。私たち日本人にとってお米は主食であり、エネルギーの源であります。だから、稲は「命の根」といわれています。
>前回のお田植えについては「こちら」をご覧ください。
今回のお田植えで4回目。最初に比べれば、少しだけ手慣れたように動けるようになりましたが、やはり稲を真っすぐに田植えするのは簡単なようで難しく。ただただ、この稲がきちんと根をはり、秋には黄金の稲穂を実らせてほしいと願うばかりです。
自然のなかで夢見心地
御田植が終わった後は神事の片付けをお手伝いし、村の子供たちと裏山に登り一緒に遊んだり、畑の手伝いをしたり。 都会の中とは全く違う、自然の中に暮らしに身をおいてると、なんともいえない夢見心地な気分になります。
東京はどんどん再開発されていっていて新しくなっていってしまうけど、きっとこの姿は昔も今も変わらないのだろうな・・そう思っていました。
だけど、村の人たちはみんな口々に「昔はこうではなかった」と。同じことを皆さん言うから思わずキョトンとしてしまいましたが、聞いてみると納得してしまいました。
支配されている? 支配している? それとも?!
事の発端は、夜に仲良くさせてもらっている村の家に遊びに行ったときのこと。「夜、運転するときは鹿に気を付け~~」と。でも、まだ遭遇はしたことがないから、「またまた~、そんなに遭遇率は高いのですか⁈」と聞いたところ、村の人たちにとっては“あるある話”の一つだと。だけど、昔はそんなことはなかったそうです。
鹿や猪なんぞは山奥にはいらないと見つからなかったし、そもそも畑にしても柵なんてなかった!
今では畑にしかり、猪や鹿が畑にはいって荒らさないように柵で大きく囲っている。すると、ふとした時に「自然に支配されているのか、支配しているのか」と思ってしまいむなしくなるんだよな~と話してくれました。
山に食べ物がない
村で慕っているお父さんのお父さん、つまり、じっちゃん(御年90歳)曰く、昔の猪の肉は甘かった、そう。
お父さんも、じっちゃんも、この天川村で生まれ育ったが、お父さんさえも、猪の肉の甘さはもう遠い過去の昔の記憶。もう出会えないのではないか!?とまで言ってました。
それは、もう山には昔の姿がないから。
天川村がある一体は「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録にもされていますが、山々が緑に覆われているのはすべて「杉」。つまり、これは針葉樹であり、国の政策で数百年前に植えられたもの。もちろん、昔も杉の木も生育していたと思いますが、じっちゃんいわく、昔はまだ少し落葉樹で山はおおわれており、山のなかからでも紅葉を楽しんだり、季節の移ろいも目で楽しむことができたそうです。
どんぐりや木の実もいっぱい落ちていた。だから、猪たちが食べるエサも豊富にあったから山からおりてくることはなかった。そして、食べるエサもそういう木の実等を食べていたから、肉のうまみも違ったのだろうと。
でも今はせっかく育てた畑の野菜が荒らされないようにと柵で覆ってしまい、まるで敵対しているかのようになってしまっているが、本心は猪たちがかわいそうだと思っていると。
ありのままの自然の姿は
都会のなかで生まれ育ち、無機質な建物、アスファルトの中におおわれている都会から行く身からすると、村で目にしているこの風景は偽りのない”ありのままの自然“だと思っていましたが、そうではないということを叩きつけられなんともいえない複雑な気分になります。
子供たちとこうして田んぼのほうでおたまじゃくしを見たり、虫をつかまえたり自然のなかで戯れながら遊んでいることも、東京ではできない貴重な体験だといつも思ってしまいますが、この自然の姿も変わっていくのかなと心の中でどこか思ってしまうと・・やはりどことなく虚しくなります。
現に、村のじっちゃんやばっちゃん達曰く、昔はドジョウもたくさんいた!とのこと。(みんな口々に言うので、よほど昔はいたのだろうな・・。)
それなのに、今となってはネットでドジョウを購入。
そして、村の子供たちらが一匹ずつ放流するときに参加させてもらいました。私もドジョウを手にするか?!と言われたのですが、、情けないかなドジョウを触れず・・・尻込みしてしまい遠くから見守ってしまいましたが・・。
自然と共生するということ
御田祭を終えたあとふと空を見上げると太陽の周りにきれいな虹が見え、『うわぁ~~きれい!虹がこうして見えるなんて、なんだかありがたい~!』なんて思っていたのも束の間。
隣にいた村のじっちゃんが「めでて~もなにもね~。こりゃ~、明日は雨だがな」と。
『そんな嘘だ~』とその時は思ってしまっていましたが、じっちゃんの読みどおり、次の日は見事に雨。
でも、一連の見聞をつうじ「自然と共生する」というのはこういうことなのかもと、思わず膝を叩いてしまいました。
自然の知恵を言葉に
古来、日本には「大和言葉」がありますが、その言葉の背景には“自然から入ってきた情報を動物はただ五感で感じるだけだが、人間は言葉として記憶し語るようになった”と。
そして、“日本人は共生という生き方で自然とひとつになってきた民族。だから、自然の知恵がそのまま脳の中に伝わり、それがそのまま言葉になってでてきた”というのを本で読んだことがあります。
敷島の日本の国は言霊の佐る国ぞ真幸くありこそ
万葉の歌人柿本人麻呂うたったように、昔から日本は言霊の国であるといわれてきました。『言霊』であるまえに、自然から伝わってくる知恵を表現するために現れてきたのが言葉であり、それが「大和言葉」なのかもしれません。
玉響(たまゆら)なときを
さて、今宵は水無月の満月。
満月を仰ぎ見、香を焚きながら玉響な時を楽しんでみてはいかがでしょうか。
この「玉響(たまゆら)」も大和言葉の一つですが、玉がゆらぎ触れ合うことのかすかなところから、「しばし」「かすか」の意味。好きな言葉の一つです*
そして、今月は「夏越の祓」でもあります。
吾国の やまとしまねの神たちを
けふのみそぎに 手向つるかな
平安時代には家々でも行われていたそうですが、今現在では神社にて「茅の輪」がおかれ、30日になると「大祓の儀」が各地の神社で行われます。この神事で奏上される祝詞は「大祓詞」。
これも元をたどると大和言葉で書かれているという書を読んだことがあります。
村の中にある天河大弁財天社では「朝拝」という朝のお参りが毎朝あり、「大祓詞」という祝詞を神職の方と一緒に唱えます。そして、唱え終えるとなんともいえない清々しい気持ちになります。
この「大祓詞」はすべてを祓い清めることを祈りにされた祝詞です。(この場ではざっくりで申し訳ないです)
当店でも朝拝以外に、店内の神棚にて1日と15日だけはこの祝詞を唱えています。Juttoku.の香は火を灯してから約20分ぐらいの燃焼時間になりますが、「大祓詞」を全部唱えるとお香の半分は灰になっているかもしれません。でも、香を焚きながら唱えることで、空間も身も心も澄み切り渡ります。
「大祓詞」の意味を考えたりする必要はない、言葉にして読み上げるだけでいいのだ、と言われたことがあります。ただ、この祝詞に書かれているのは“自然を超越した神々の世界”であるのでしょうか、もしかするとここも純粋に“自然”をうたっているのかもしれません。
一年の半分を終え、年の後半をまた清らかな気持で過ごす。
ぜひ、今宵の満月は香を焚きながら「大祓詞」を唱え、身も心もスッキリしてみはいかがでしょうか。 きっとその時間もかげかえのない玉響なときであることを祈っています*
すてきな満月の夜をお過ごしください*
<追記>
祝詞をPDFにしてみました。こちらをクリックすると表示されます。「大祓詞」
追伸:「大祓詞」と検索するとネットでもでてくるので、ぜひ読んでみてください。