御香水をもとめに~奈良二月堂の修二会へ~

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春を告げる修二会

「御香水」という言葉を知ってから早10年。いつか行って見てみたいという思いがようやく今年叶いました。

奈良・東大寺の二月堂で行なわれる仏教行事「修二会(しゅうにえ)」。本来は旧暦二月の行事なので「修二会(しゅにえ)」と呼ばれていますが、「お水取り」「お松明」と呼称されているほうを聞いたことがあるという方も多いかもしれません。

その言葉の所以にもなるように、3月1日から2週間行われる行法では大きな松明に火が灯され、本行の12日には深夜にお水とりをするという仏教行事であり、今回目的だった“御香水”というのもまさにこの「お水取り」でとられるお水のことを指します。

 

途絶えることなく続く「不退の行法」

天平勝宝4年(752)東大寺を開山した良弁僧正(ろうべんそうじょう)の一番優秀な弟子である実忠和尚(じっちゅうかしょう)によってはじめられたと伝えられ、それ以来1260年以上一度も休むことなく続く伝統行事であるこの「修二会」。

二月堂本尊十一面観音に、東大寺の僧侶が人々にかわって罪を懺悔して、天下安穏(世の中が平和で)・五穀成熟(穀物がよく実って)・万民豊楽(みんなが幸せに過ごす)法会です。

 

なぜ懺悔

天下安穏を祈る行なのに、なぜ懺悔するのか。

それは、地震、病気、旱魃飢饉等の災いは人が悪いことをするから起きると考えられていたのです。つまり、それらは人間が悪いことをしたから起きるのだと。

しかし、知らず知らずのうちに人間は災いが起きないようにと心がけていても、人間は罪を重ねてしまう。なんとも八方ふさがりにも感じてしまいますが、ここで仏教の教えがでてきます。

悔過(けか)。
これは仏教用語で、仏様へ懺悔し、許しを請うこと。

人間が積み重ねてきた罪によって災いが起きるのだと理解したうえで、災いの原因である私たちのあやまちを仏さまの前で懺悔し、許しを請うことによって、災いの無い天下安穏を祈る。これが「修二会」の目的でもあります。

知れば知るほど大変興味深く、そして、四半世紀を超えてもなおこの平和を祈る行法が続いていることに感慨深くなります。

 

 

お水取り

3月1日から2週間にかけて行われる「修二会」ですが、13日深夜にいよいよ「お水取り」が行われます。

深夜0時頃に到着しましたが、すでに多くの方々が寒いなかで待たれていました。しばらく体を震わせながら待っていると、二月堂の堂内からドン、ドンと鳴り響く音が。

 

何があの中で行われているのだろうと思いながらも、2時間ぐらい待ち、ようやく松明の明かりが二月堂から見えてきました。

 

数百段あるであろう階段を大きな松明を手にした僧侶の方を先頭に隊列が見えてきたときには畏怖を感じるものがあります。

「修二会」に参籠(さんろう)する 練行衆(れんぎゅうしょう)と呼ばれる僧侶は11名。そのうちの5名が厳かななかでおりてこらえました。

 

漆黒の闇夜のなかで、松明だけの明り

「お水とり」が行われる「閼伽井屋(あかいや)」の近くに立たせてもらっていましたが、大変神聖な儀式であるがゆえ、ライトで照らしたりカメラのフラッシュはもってのほか。真っ暗な中で目をただただ凝視しながらその瞬間を待ちわびながら見つめていました。

 

お水取り

「閼伽井屋」という建物の中にあるのが「若狭井」という井戸。この建物の中に入れるのもこの練行衆のみであり、この井戸からお水をくみご本尊の十一面観音に供えます。

このお水こそが「御香水」と呼ばれるものです。

雅楽のような篳篥などの楽器の音が心地よく鳴り響く闇夜のなかで、大変厳かに行われていた「お水取り」。

「閼伽井屋」の横隣で観させていただいていましたが、漆黒の黒さという表現が本当にあてはまるかのように真っ暗すぎて、どのときに扉が開き、汲まれた水がでてきたかのはわからず。それぐらい厳かに、そして神聖な儀式で行われていました。
(この写真はお水取りの儀式が終わった後に撮らせていただきました)

 

汲まれたお香水桶のなかにいれられ、慎重に二月堂へと運ばれます。

あの桶の中にお香水が・・・!
見ているほうも緊張感に包まれますが、このお水を運ぶのが三往復行われました。

 

「お水取り」の儀が行われはじめてから30分経つか経たないか、もしかするともっと時間がかかっていたかもしれません。あまりにも緊張感あふれる神聖な儀式でしたので時の感覚さえも失ってしまっていました。

待ちに待った瞬間であった一方、想像をはるかに超えるほどの大変神聖な儀式でもあり、とにかく感極まるおもいでいっぱいでした。

 

お水とりの所以

こうして行われた「お水取り」ですが、この所以もとても興味深いものがあります。

実忠和尚が修二会をはじめた時、毎日初夜(7時~8時)の終わりに「神明帳(しんみょうちょう)」を読むならわしでした。この行法を守護するために、諸国の神々を勧請(かんじょう)、つまり神々を迎えし祈願しました。しかし、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)は、釣りに夢中のあまり時を忘れてしまい遅刻してしまいました。

そのおわびに十一面観音の御本尊にささげるお香水を福井県若狭から送ると誓い、二月堂の下の岩をたたくときれいな水が湧き出したと伝えられます。

そこでこの勢いよく湧出したことから、「若狭井」と名付けられ、この水を御本尊へ供える風習が起こったといわれています。

 

 

朝方まで

「お水とり」が終わり二月堂まで上がると、堂内からお経をあげる声が響きわたっていました。

堂内に入ることは許されないのかと思いきや、様々な禁止事項はありますが中で拝見することができます。

真正面からの場所はすでに人がいっぱいだったので、端の扉からはいらせていただきましたが、そこはまるで異空間。お経に聞きなれていると思いきや、この堂内で唱えられているのは初めて聞くテンポと音階のお経。そして、時折聞こえる練行衆が下駄で走る足音。真っ暗な空間で、炎の明かりからうっすらみえるその動き、音の世界に心の高ぶりを感じていました。

この日の行は朝方の5時ごろまで行われていました。

 

「御香水」という言葉に惹かれて

“香”という文字がついている“水”というのを知ったときから早10年。ようやくきちんと概要もわかりましたが、知れば知るほど奥深く、そして、2週間にわたる法会のなかにひとつひとつに意味が深く刻まれているこの「修二会」。

この平和を祈る法会をあらためてより知りたい、見たい、一緒に祈りたいという思い。また、一回だけでは見きれない魅力の深さもあり、来年も再来年も時間が許すかぎりまたきちんと参加したいと思うほど惹きつけられるものが多くありました。

そもそも、「御香水」というのもどういうものなのかまったく検討もつかずでいましたが、今回こうして断片的ではありましたが、その流れを垣間見ることができ理解を深めることができました。

行くまでは“香りがする水”がでてきているのか等と内容がわからなかったがゆえ検討もつかずでしたが、芳香につつまれる世界におられる観音様へ供える水だから御香水なのかと解釈しようとしまっていました。しかし、そもそも仏様へ供える水のことを「閼伽(あか)」と呼ばれ、汲んだ水に香をいれていたことから「閼伽香水」と呼ばれるようになり、そこから「御香水」と呼ばれるようになったのかもしれません。

上述については、これは完全に個人的な解釈でしかないので引用はご遠慮いただきたいのですが、今回この言葉をつうじて新たに知れる世界にふれられたことにただただ感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

来年もぜひ参加したいと思います。

 

 

 

 

 

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