神か仏か ~神無月の満月の夜に~

花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

秋の長雨も続きましたが、すっかり朝晩は冷え込み、秋の黄昏を感じます。そして、昨日は中秋の名月全国的にも夜はお天気に恵まれ、きれいな満月を愛でられた方が多かったのではないでしょうか。

夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に 蟋蟀鳴くも (湯原王『万葉集』)

秋の訪れをいつくしむように、朝の光にきらきらと輝く露の美しさを「白露」といいますが、昨日の中秋の名月は、蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声も重なり、月夜の美しさが心にしみいりました。

さて、先日職人のもとへ淡路島へ。コロナ禍で3月ごろから淡路島へ行くのも控えていたこともあり、久々にたどり着く地にどことなく初心をおもいださせる初々しい感情がでてきました。

海と山に囲まれた自然豊かな淡路島。古事記をはじめ日本書紀には「国生み島」と記されており、長い長い歴史のなかでどこか原点を感じせざるをえません。

 

その後、初めて「元伊勢」のほうまで行き、

 

奈良県天川村へと吉野のほうの山へと上がり、

 

久々に奈良市内へも足を運んできました。

 

そして、東大寺で奈良の大仏を見たときに、今までも何度か見たことがあるのに、今回は大きな衝撃をおぼえました。

 

それは、香りです。淡路や元伊勢、そして天河にいるときは、海の香り、土の香り、木の香り。それは、自然そのものの香りで、自分たちの暮らしの中で自然と感じられる香り。しかし、東大寺に足を踏み込んだ瞬間に包まれた香りは、仏様にたむけられているお線香の香りで、普段嗅ぎなれているはずなのにとても新鮮に感じてしまいました。

 

当店でお香づくり体験をしていただいた方には常々お伝えしているのですが、そもそも、「お香」の原料というのはどれ一つとして日本でとれません。インドやベトナム、原料によってはアフリカ、モロッコなどもあり、異国の地で育った香りが、こうして日本の地にたどりつき、日本人の感性により創られる香りが私たちが感じる「お香」「日本の香り」なのです。

日本のお香の歴史を辿ると、鑑真和尚が仏教の経典と共に伝えられた経緯がありますが、こうして今となっては鼻になじむ香りであっても、仏教の伝来のころの6世紀の古の日本人はやはりこの香りはそれなりに衝撃をうけたのではないでしょうか。

 

無論、「香り」の衝撃よりも、そもそも太古の昔より海と山に囲まれた日本列島で自然と向き合ってきた日本人。山や海、動物や植物などに依りつく自然神、そして、その土地を守る産土のなど「八百万」と称されるほど多様多彩に生み出されるが、そこには”目には見えない”神々の姿”を感じ取り、敬い、崇めていました。

 

そうした中、突然伝来してきた仏教は、当時の人からすると大きな衝撃をうけたことは想像に難くなく。今まで目にすることさえなかった世界がはっきりとカタチとして、そして美しさをも感じる仏の教えに教義云々よりもその美しさに魅了され、きっと仏前で焚かれていた香もまた彼らの心を奪うのに一役かったのも目に浮かびます。

 

「神」と「仏」という性質の異なるものに同じ思いを抱き、仏教が伝来しても日本人は神を殺さず(排除せず)、仏を除けることもなく、ともに祀り、ともに拝してきました。それが日本固有の精神文化である「神仏習合」です。

ただ、最初からすべてを懐柔的に融合されたわけではなく、『日本書紀』によると、「よその国でもみな礼拝しています、わが国だけ背くわけにはいきません」と仏を敬う崇仏派の蘇我氏一方で「蕃神(外国からきた新しい神)を拝めば、国の神の怒りを受けるでしょう」と反対をした廃仏派の物部氏の対立は、蘇我馬子が物部守屋を滅ぼすまでの仏教伝来後約50年近く続き、その後、「和を以て貴しとなす」とさだめた聖徳太子が平和の手段として仏教の興隆をはかり、国家が仏教を進んで採り入れていった背景があります。

原初の仏教は「生の苦しみ、死の恐怖からどのように脱するべきか」という釈迦の教えであり、カタチのないものでしたが、大乗仏教の発展により日本に伝えられるときには「目に見える仏」として、そして、日本においても平安中期以降は神仏がほぼ同体とみなされる「本地垂迹説」が説かれたりと、様々な経緯がありますが、こうして柔軟に考え採り入れられる根本的な背景には、「古代人の豊かな想像力」があったからではないでしょうか。

 

さて、今宵は神無月の満月の夜。香を焚き、リラックスした状態で、窓の外の世界に目をむけ、自然を感じみてはいかがでしょうか。

自然と向き合っていた日本人は、自然から恵みをもらうこともあれば、自然によって命を奪われることもあるなかで、目に見えない何かが自然を操っているようにみえる森羅万象の営みに神々を見出していました。そこには、光のゆらぎ風の音落ち葉の重なる音にさえも神々を感じていました。これは、五感をつうじて知覚することを超えた、第六感がはたらいていたといっても過言ではないのですが、大いに”感じ取り”、そこから”想像する”豊かな力がはたらいていたことでしょう。

 

 

この”感じ取る力”と”想像する豊かな力が根底にあったからこそ、白か黒かという二者択一ではなく、それぞれの良さをひきだしながら融合・和合させていく平和への道しるべが培われたきたのかもしれません

すてきな満月の夜をお過ごしください*

 

 

(2020年10月満月の夜に配信した月便りの内容を一部変更して転載しています)

 


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