「鬼は内~福は内」~鬼も神としてお迎え~

こんにちは。
Juttoku.ブログをご覧いただきありがとうございます!

 

 

昨日は、無事に約束通りの時間に天川につくことができました。
「2月は一番冷え込むときだから、厚着して気いつけて、来いやぁ~」という
お言葉をうけて、2重にも3重にも着重ねてきた私ですが・・・、
拍子抜けしてしまうぐらい、天川も春めいた陽気で、コートなしで歩けるほどでした。
(ちょうどこの日は、全国的に4月下旬並みの暖かさだったみたいですね!)


さて、この日は打合せがおわったあと・・・、
19時から行われた「鬼の宿」という御神事に参加させていただきました。

 

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「節分」~新しい年を迎える準備~

ついこの間、新年を迎え、1月はまだまだあると思っていたのもつかの間!
あっという間に、2月を迎え、今日は「節分」です。

通常「節分」は、新しく迎える一年の始まり(立春)を前に、
これから始まる、新しい一年が、不幸や災いが無い一年になりますように』と
無病息災の願いをこめて、立春の前日の2月3日に、行う行事です。

(参考までに)

「節分」と聞くと、立春前の2月3日だけだと認識されている方も多いかと思いますが、
本来は、季節の変わり目にあたる立春、立夏、立秋、立冬の前日が全て節分と
されていたそうです。歴史の流れの中で、室町時代から、一年の節目にあたる春の節分に重きが置かれはじめたとのこと。
やはり、“春”が年のはじめりが気持ちが引き締まるのでしょうか・・。

季節の変わり目には悪鬼が出てくる


いろんな諸説があると思うのですが、私が聞いて学んで納得したのが、こちら。
陰陽道では季節の変わり目には悪鬼が出てくるといわれ、豆を擦る音が僧侶の数珠をする音に似ていていることから「鬼は外、福は内」のかけ声を声高らかに発することで、「魔滅」になると信じられてきました。” (釈老子より)

そのため、多くの皆さまが、「鬼は外~、福は内~」と豆をまかれたのではないでしょうか?

 

「鬼は内~、福は内~!!」 あれ?鬼は外~ではないの?!

しかし、ここ天河大弁財天では、節分前の2月2日の夜に「鬼の宿」という神事をとりおこない、
鬼をわざわざ迎えいれ、翌3日には、「鬼は内~、福は内~!」と唱えながら、豆をまくのです!

その所以とは・・・・

 [天河神社HPより、一部抜粋]
○天河社社家は、役行者の供に祀られております前鬼、後鬼の子孫と言い伝えられており、節分祭宵の晩『鬼の宿』として、先祖である鬼(神)をお迎えします。かつて天川の民が新しい年(節分)を迎える前夜、里宮を通して祖先の霊を迎えた古い信仰の名残りともいわれる神仏習合の神事です。

○この神事は、神社の社殿ではなく、役行者に仕え大峯山開山を助けた鬼の子孫と伝えられる社家の民家の中で斎行される点。そして、夜更けから深夜にかけて厳かに斎行される点がこの神事のユニークな点です。

 

このように、天河大弁財天では、得て嫌う「鬼」を、邪気だといって豆をまいてはらうのではなく、「神であり先祖であり、お迎えするもの」として、鬼(神)を節分前夜にお迎えします。

 

神聖な儀式である「鬼の宿」

 

神でありご先祖様でもある鬼を迎えいれるご神事は、日本でもここ天河弁財天のみと
いわれております。

節分前の前夜。社殿で神事が執り行われたあと、そのまま松明に火をともし、
神官のあとに続いて、宮司様のご自宅に向かいます。
「鬼の宿」といわれう所以は、ここにあり、遠い先祖でもある鬼(神)さまを迎え入れる
ために、布団を二枚ひき、おにぎりをそなえて、祝詞やお経、ご真言を唱え、お招きします。
その間、神官は鬼(神)様がつかう井戸水を汲みにいき、その聖水がはいった桶
お部屋の中に置きます。

クライマックスは、ここから。明朝。
聖水が入った桶の中に、砂などが入っていたら、鬼(神)様がいらっしゃったというサイン。
入っていれば、滞りなく鬼(神)様をお招きすることができたということで、神事を修めること
ができるのですが、もしも・・・・はいっていなければ、
宮司様にその力がなくなったということで、宮司職を辞することになり、翌日の節分祭を
執り行うことができなくなるのです。

 

「鬼の宿」は神聖な儀式であるゆえに・・・・

実は、上述した内容は天河の方々に聞いたお話です。
なんと・・・今年からは、「鬼の宿」のご神事は神官のみで行われることになったそうです。

お話を伺うと、年々神事に参加される方々が増えてきて、
宮司様の自宅にはいりきれなくなったなどがあるとのこと。
おそらく、神聖でなおかつたいへん厳かな儀式であるがゆえ、きちんと聖域を守られた
のでしょう。

そのため、今年からはご神事は、拝殿にて鬼(神)様を招き入れる儀式のみが行われ、
「鬼の宿」となる神事には禰宜様と権禰宜様はじめ、数名の神官の方々が
松明をもって、宮司様のご自宅に向かわれました。

 

神へと祈りを伝える香の役目

2月2日、19時。
拝殿に集まった人数は、延べ80人強なのではないでしょうか。
山間部なのにもかかわらず、多くの方々が続々と集まってきました。

拝殿を前に、真ん中に護摩焚きのスペースがあり、それを囲むように、みんな並び座ります。
場を清めるために、まずは香が焚かれ、ご神事が始まります。

細かい描写は、ここでは控えさせていただきますが、この神事に参加させていただいて
あらためて感じたのが、「香」の役割です。

杉の葉が敷かれた上に、護摩木がきれいにつまれ、火がつき、
そこに祝詞やご真言を唱えなから、香も火の中にいれられます。
暗闇の中、炎の光と、そしてそこから放たれる幽幻な香りで包まれ、
燃え上がる炎と、そして、香からはなつ煙が、上へ上へとのびあがる光景は、
なんとも、神がかりてきな空間でした。

今度ブログで、詳しく書かせていただきたいと思いますが、
歴史の文献では、古代の人々は香りに”神秘の力”を感じ取っていたと。
そのため、古代社会の原始宗教でも、祈祷師や魔術師は、
香を焚いて、神に祈りを捧げていたそうです。

何千年もの時が経っても、香の役割が変わらない。
神事に参加しているあいだは、悠久の時の流れの中にいるかのようでした。

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この写真は、すべて神事が終了したのち撮影させていただきました。

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宮司様に呼ばれ、近くにいってみると・・・・びっくり・・・・!!
Juttoku.の印香、「ハート」と「松竹梅」が焚かれておりました。

 

古の時代から続くものと、現代が織りなす瞬間に感じ取れ、まさにこれはJuttoku.の思いそのものであると感慨深く感じたのと同時に、
何よりもこのような神聖の場に焚いていただき、香を扱うものとして、大変嬉しい限りでありました。

 

“鬼”のような強いパワーを吸収!


今回、こうして初めて参加させていただいたご神事でありましたが、「鬼」といって毛嫌い払うのではなく、そこに”神”として上げ祀るところに、日本人の精神性の奥深さを感じ取ることができました。


神官の方から、『こうして鬼を招きいれることにより、皆様の中にも“鬼”、つまり、“強いパワーと厳しさの象徴 ”を迎えることができました! 心身を清め、新たな気分で新しい年をお迎えくださいね!』とお声をいただきました。

 

皆様にとっても、新しい良き一年になりますように・・・*

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