花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。
自分に立ち還る
奈良県の山奥にある天川村に行ってきました。
天河大弁財天社は、地図でみるとちょうど紀伊半島の中央部にあり、「吉野」「熊野」「高野」というヤマト三大霊場を結んだ三角形の中心部に位置しており、標高1,000~2,000mの「近畿の屋根」といわれる大峰山系の山々に囲まれた村の中にご鎮座されています。(詳しくはこちらに記載しておりますので、ぜひご覧ください)
東京から600km以上運転して行くのにも関わらず、なぜここにいつも戻りたくなるのか・・。この地にいると自分が自分に還れるからかもしれないです。
不思議な縁を感じながらも、今回の滞在期間のなかで神職の方のお話がとても印象的でしたのでご紹介させていただきたいと思います。
歴史にも縁のある場所
天川は日本の長い歴史を紐とくなかでとても縁のある場所でありますが、そのひとつに能の第一人者である“世阿弥”にも縁があります。苦境の時代に能の再興を願い、そして、世阿弥が6代将軍足利義教に迫害されたのち、嫡男の十郎元雅が所願成就を願い、世阿弥が使ったといわれる「阿古父尉(おこふじょう)」の面を寄進したといわれており、能ともとても深い縁がある場所です。
能も、もともとは豊作を願う自然の神への祈りとして生まれたともいわれますが、実際に天河大弁財天社の本殿の前には立派な能舞台があります。神に能を奉納する、その言葉がぴったりあてはまる場所です。実際にこの場所におられたのかと思うと感慨深い思いにかられます。
先祖への想い
では、なぜ世阿弥、嫡男の十郎元雅がはるばるここ山奥の天河の地まで来られたのか。
それはひとつに、この神社で祀られいるご祭神が水の神、芸能の神ともいわれる辨財天であられるからということもありますが、それだけではない想いがあったのではないか、と。
それは「先祖への想い」もあったのではあろう、と。
というのも、世阿弥の父である観阿弥の母は、楠木正成様の妹であられます。
歴史がお好きな方はもうおわかりになられたかと思いますが、都をでて吉野に南朝を築かれた後醍醐天皇に忠誠をしていた武将の一人が楠木正成であり、ここ天河大弁財天社をはじめ坪ノ内一画も行宮(あんぐう)とされ宮中さながらの栄華を極め、楠木正成氏をはじめそのご子孫の方々はこの地に安住されていたともいわれています。
世阿弥、嫡男の十郎元雅からすると自分の祖先への想いも相重なりこの地に参った。それは自分のルーツを知るためだったのかもしれません。
自分のルーツを知る
奇しくも、今日は春分の日でありまた春のお彼岸がはじまります。
今の自分がいるのは両親がいて、そして、その両親もそれぞれに父と母があり・・・、二世代前までさかのぼるだけでも6人の方々があっての今の自分の命があります。それぞれの時代の背景もあるにせよ、その方々の生き様、そして生きた証がこうして今の私たちにつながっているといっても過言ではありません。
今宵は香を焚きながら、自分自身にだけでなく、ご先祖の方を思い静かに手をあわせる、そんな自分のルーツに立ち還るひとときを過ごしてみるのはいかがでしょうか。
いい音といい香りは極楽浄土の世界につうずるといわれています。ご先祖様のことを知る、どういう思いで生きてこられたのか、それにそっと心の耳をむけてみる。それだけでも何かこれからの人生において生きる力やヒントがもらえるような気がします。
心から心へ伝える
その風を得て、心より心に伝うる花なれば、風姿花伝と名づく。
(能は正しい伝統を得て、言葉で表現できないことをも心から心へと伝える芸の花ですから、本書を『風姿花伝』と名付けました。)
能への考えを後世にまで伝えていくという使命をも感じ書き記したのではないかと思う世阿弥の最初の著書であるこの『風姿花伝』の奥義に書されている世阿弥の言葉です。
「心より心に伝うる花」への解釈は様々にあるかと思いますが、言葉では説明できない、説明しきれないということを理解していたのでは。だからこそ、“心で感じ取る”ということにも重きをおいていたのではないでしょうか。
きっと皆さまのご先祖様もはっきりした言葉でなくとも、何か伝えてきてくれているのかもしれません。それをただ心で感じとる、それだけでも大きな力になるのだと思います。
すてきな満月の夜をお過ごしください*