天河大弁財天社で自分に還る

Juttoku.便り
心に深い安らぎを与えてくれる「美しいカオリ」を、自然と調和する「美しいくらし」に、をコンセプトにもつJuttoku.。
四 季の美しい日本にいながら、自然と調和する暮らしのなかで、日々様々な出逢いや学びに恵まれます。それは、自然の時間の中に自分を置くことで感じること や、自然をつうじて学ぶ日本の美意識、そして旅先などで見聞することなど。本コラムでは、Juttoku.の折々の暮らしをお届けします。

天川

神々が降りたつ神聖な領域

Juttoku.がご縁いただいている場所の一つ。そこは奈良県にある天川村。 当ブログを御覧いただいている方々はよくこの天川村を目にしていただいているかと思います。

日本には47都道府県あり数々の市町村が在りますが、 この「天川村」についてはご存知の方はなかなかいらっしゃらず・・・、店舗等でご紹介しても「初めて聞いた!どこそこ?!」という反応が9割強でおります。そのため、「天川知っています」「天川に行ったことがあります!」というお客様がいらっしゃると、互いにとても喜び天川村トークではしゃいでしまうほど。

実はあまりにも特別で神聖な場所ということもあり、うかつに表面的な情報のみでご紹介することはできないと勝手に思い込み・・・・きちんとご紹介できずにおりましたが、自分たちの中でようやく腹に据えることができたので、言葉足らずかもしれませんがご紹介させていただきます。

 

多くの人の祈りを集めた聖地

奈良県吉野郡天川村。そこは、地図でみるとちょうど紀伊半島の中央部にあります。「吉野」「熊野」「高野」というヤマト三大霊場を結んだ三角形の中心部に位置しており、周りを近畿最高峰八経ヶ岳(1,915m)をはじめとした標高1,000〜2,000mの「近畿の屋根」といわれる大峰山系の山々に囲まれた村です。

 

鬱蒼とした原生林に覆われた山々は神仏の宿る場所として古くから信仰を集めており、山岳信仰・修験道の修行の場として、今でも修験道の修行の場として多くの人の祈りを集めておりまさに聖地として大切に守られてきた場所です。

 

 

 

秘境の地

天川村2

「近畿の屋根」といわれる大峰山系の山々に囲まれたところにある天川村は、行くのも修行のようにも感じる遠い道のりです。

 

東京からは、まず京都に。そこから、近鉄線に乗ります。近鉄線の電車に揺られること約40分~50分、ようやく「下市口駅」に到着します。そこから、一日に数本しか走っていないバスに乗ります。バスに揺られながら、うっそうと木々の生い茂る山間を右に左に縫うように上がること、約1時間弱。ようやく天川村に到着します。

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降りたつと、そこはまるで別世界。山々に囲まれた、静寂で気が満ちた世界がひろがり、そこはまさに“秘境”の地です。

 

 

 

 

聖地として人々をひきつける場所

天河大弁財天社

この天川村において欠かせない場所は,標高1895Mの主峰である霊場「弥山」の麗にある「天河大弁財天社」です。弁財天様、熊野坐大神、吉野坐大神を祀っています。

ここは日本の歴史書には大きく名がでずとも、日本の長い歴史を紐とくなかでとても縁のある場所です。

 

ヒノモトという言霊を天から与えられた場所

天河大弁財天社

私たちがこうして平らかに健やかに過ごすことができているここ日本。この“日本”という国名はこの地で天から与えられたという伝説があります。

それは、ときの天皇、神武天皇がこの天河神社で“ヒノモト”という言霊を賜ったという伝説であり、社殿の下には今でも人踏禁制とされている磐座が鎮座されており、そこで神武天皇が祈られたといわれています。

 

また、その後、壬申の乱での戦勝祈願の功に対する感謝の印として、天武天皇によって壮麗な社殿を建てたのが最初であると伝えられています。

 

 

弘法大師空海も修行をした場所

後に様々な偉大な僧たちも、天河という聖なる場の神秘によって引きつけられていきます。

 

修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)は、霊山である大峯山に75靡の道場を開き、平安時代(9世紀はじめ)には、空海(弘法大師)が天河神社を拠点として修業を行ったといわれています。

約3年の修行後、空海は言わずと知れた高野山金剛寺にて開山、真言宗を築くに至りました。

 

 

 

天河弁財天社

その他にも、南北朝時代には足利尊氏に強引に幽閉されたときの天皇、後醍醐天皇は吉野の山に逃れて対立していましたが、後を受け継いだ後村上天皇は、皇族にとって不遇な時にここ天河神社を拠点に過ごしたといわれており、皇族とも縁のある地。

 

また、天河神社の弁才天さまは芸能の神としても名高く、天河神社の宝物殿には、能面や能装束など多数現存されています。 それは、世阿弥が6代将軍足利義教に迫害されたのち、嫡男の十郎元雅が所願成就を願い、世阿弥が使ったといわれる「阿古父尉(おこふじょう)」の面を寄進したといわれています。

 

 

 

縁がある人しか行けない

天河大弁財天社

このように、天河神社は様々な古の時代より“聖なる地”という神秘により人々を引きつけながら、1300年以上にもさかのぼる壮大な歴史を綴ってきました。

 

しかし、一方で“天川には縁がある人しか行けない”とも言われています。言うなれば,縁のない人は行きたくてもいけないということ。  予定をたてていても、仕事が急に入ったり体調不良になってしまったり・・・理由は様々。 それは、まだ天川に行くべきタイミングではないという啓示なのだともいわれます。

はたしてそれが本当かまやかしか、信じるのはその方次第ですが、それだけこの地が“神々と宇宙に一番近く神聖な場所”でもあるというのは、この地に訪れたら感じるはずです。

 

 

 

真の自分に還る

天河神社

競争社会、物質主義社会、情報化社会といわれる現代の社会生活。その中にいると表面的なことばかりに気にとられてしまったり、時間に追われるばかりの忙しなさで、悪い想念やストレスがたまるばかりで心のゆとりがなくなり、心身ともに疲弊をしてしまい自分を見失ってしまうことも。

しかし、自然に囲まれた静まりかえった天川村の中にいると、自然、宇宙が奏でる呼吸に情調できるので、だんだんと心が洗われ、体も軽くなり、真の自分に戻れます。

それは、海抜1000M級の山々に囲まれ、谷間の集落部は約800Mにある天川村一帯が、人間が胎内にいる時の気にほぼ等しく、陰の気と陽の気が合体しやすい高度にあるということ。また、弥山の麓にある天河神社が大峯山系の山々の中で、胎児の世界である「胎蔵界」と人間世界に生まれてから死ぬまでを表す「金剛界(こんごうかい)」のちょうど間、つまり、人生の原点でもある“生命の誕生”の地に建立されているから。

この地のエネルギーもあるからこそ、真の自分に還れるのかもしれません。

 

 

日本人の精神の源に立ち還る

 

天河大弁財天社

長い歴史を様々な面々で綴ってきた天川村。もし今『行きたい!』という心の鼓動を感じたら、ぜひ早速訪れてみてください。

 

 

天川村

天川村は、娯楽を楽しむような観光地的な場所ではなく、“心の目”で感じ安らぐ場所のような感じがします。

目に見えるものしか信じなくなり、自然への畏敬の精神さえ見失ってきていまっている社会風潮のなか、この地に訪れると、“心”で感じる楽しさ、自然とのふれあいという、本来の日本人が大切にしていた精神の源に立ち還ることができると思います。

 

 

みたらい渓谷

天川村には、天河大弁財天社のほかにも、洞川や、みたらい渓谷など、ほかにも魅力ある場所があります。

 

この地にご縁をいただいているJuttoku.として、様々な方々にこの地にも訪れていただきたい・・そういう想いもあり、これからも天川村の魅力をお届けしてまいます。

 

 


奈良県吉野郡天川村

天河大弁財天社
住所:吉野郡天川村坪内107


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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