(霜月)満月の夜~「徒然草」に魅せられて~

花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

 

霜月の満月の夜に

日毎に寒気加わる時節となり、鮮やかな紅葉を楽しめる季節に。
秋晴れのいい日が続き、今宵は月夜も楽しめる空模様ではないでしょうか。

 

 

『徒然草』に魅せられ

 

秋の月はこの上なくすばらしい。
月をいつも同じだと思っている人は、
全く情けない。

(第二一二段)

 

この一節を読んだ時、一瞬息を呑んでしまいました。
暦のうえではもう直に冬にははるけれども、夜空を見上げるときれいに輝く月に心踊らされれます。

 

でも、たしかに月の姿というのはいつも同じではない。

同じ満月でも、冬の夜空の満月、春、夏の満月。季節によっても見える姿は違う。当たり前なのだろうけれども、忙しないなかで身をおいているとそう感じ取れる心も失いがちになります。

 

ふとこうして夜空を見上げながら満月を眺めていると、いろいろと語りかけてくれているようにも感じます。

 

 

すべては月を見ることで、
心慰められる。

(第二一段)

 

 

 

心に主があるならば

 

 

主のいる家に、無関係の者が勝手に入って来ることはない。

主のいない家には通りすがりの者がみだりに立ち入るし、
狐や梟(ふくろう)なども人の気配がないのでわがもの顔に棲みつき、
木霊などという怪しげな姿をしたものも現れるものだ。

 

また、鏡には色や形がないので、
万(よろず)のものが来ては影を映す。

鏡に色や形があるとすれば何も映らないことだろう。

 

無形無相の虚空はよく物を容れる。

 

我々の心に種々の思いが、際限なくやって来て浮かぶのも、
心が空っぽだからではなかろうか。

 

心に主があるならば、
胸のうちに種々の雑念が入って来る事もあるまい。

(第二三五段)

 

 

 

心を家に例えるところ、趣がありわかりやすいですよね。
そして、これは近代哲学者のデカルトの「我思う、ゆえに我在り。( I thinki, therefore I am)」の真逆をついてるようにも思えます。

 

 

でも、「心に主があるならば、胸のうちに種々の雑念が入って来る事もあるまい。」と問い掛けるこの言葉がとても心に響きます。

 

 

心に主がある”、その思い、意思があればぶれることもない、迷うこともないと問い掛けてくれているようにも感じます。

 

 

 

 

心が他にまぎれずれに

 

 

つれづれをつらいと思う人はいかなる心なのか。
ただ一人でいるのこそ素晴らしいのに。

世間に従えば外界の塵に心を奪われて惑いやすく、
人に交われば人に左右され、自分でいられない。

(第七五段)

 

 

今宵は満月。

 

静寂な夜に、香を焚きながら一人静かに自分の心に向き合ってみてはいかがでしょうか。

それは、“心に主”をつくることのようにも思います。

 

 

2018年も残り幾何の月日。この一年も後悔なくやり切ったと思える一年になるように、この時にこそ、自分の心(意思)に耳を傾けてみてはいかがでしょう。

満月が優しくほほえみかけてくれているように、自分の心も優しく語りかけてくれるでしょう。

すてきな霜月の満月の夜をお楽しみください。

 

 

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