【立春】看脚下

花鳥風月
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

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春の足音

いくらか寒さもゆるむなかで、少しずつ春の足音が聞こえてきます。
今日は、立春。 暦のうえでは、春になりました。

寒い冬を耐え忍んだぶんだけ、春の気配を待ち遠しく感じられている方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

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梅の花も芽吹きはじめ道端で見つけると、「ほっ」と心和らぐ瞬間です。梅が咲き始めると、より春の訪れを感じますね。

冬でも木々は生きている

SONY DSC寒い日が続くとついつい縮こまってしまい、時として外に出るのも億劫になってしまうときも。

しかし、自然の中を歩いていると木々も葉を落として寒々としているようにも感じられ気持ちも冷ややかになってしまいますが、たとえ外は寒々としたようにみえても、木々はしっかりと生きているのだと感じさせられます。

 

木々からの声に耳を傾ける

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ついつい上辺だけを見てしまいがちですが、木々にも草花もしっかりと土の下には根が生えており、その根が大きな幹も支えています。

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寒い冬の中でも、木々はまた新しい生命を宿していく準備をしていくかのように、地中では根がより深く、より太く成長していけるように根を張り巡らしています。

こんな自然の姿をみていると、木々から大きな声でこの言葉をかけてもらっているようにも感じます。

 

看脚下

(意味)足元を見よ。この足元とは、自分の日常生活やもっとも身近なもののこと。

これは禅の言葉です。

ついつい外側や表面、結果など上辺の部分にばかり目がいってしまい、そこが自分が思っているのと違ったりすると、焦ったり、また動揺したり、時として無力を感じることもあるのではないでしょうか。私たちはしばしば、外側に期待をかけるだけで、問題の本質を目を向けぬままなことがあります。

そういうときこそ「看脚下」。足元を見てみる、つまりは自分自身を見つめてみる。

 

根を張るとき

SONY DSC今そこにいる自分の下には、今まで積み上げてきたものが多くあり、それらの礎、プロセスがあって今の自分にたどり着き、“今ここ”にいます。つまり、それこそが私たちにとっての“根”となる部分。

しっかりと根が張っている、と自分自身がきちんと認識できるだけでも気持ちが楽になると思います。また、同時に、今はしっかりと根を張るんだという意識へと切り替えることもできると思います。

地中のなかでたくさんの養分や水を吸い込み、大きく成長する。そして、たくさん蓄え成長したものを、時期がきたらだしていく。

人間も自然の流れに無理に逆らうことなく、今だからこそできることに素直に従ってみるのもいいかもしれません。

 

新しい年の始まり

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立秋は、暦のうえでは新しい年の始まりでもあります。

これからはじまる新しい一年が、まずは足元をきちんとみつめさせてくれ、根をしっかりと張ることから始められるというのも自然の教えに敬服するばかりです。

 

梅

看脚下。この時期にたくさん根から吸収したものが、もうすぐ芽吹かせる時期がきますね*

すてきな立春の日をお過ごしください。

 

 

 

謹賀新年

七福神2

新年あけましておめでとうございます。

“永き世の 遠の眠りの皆目覚め
波乗り船の 音の良きかな
ながきよの とおのねぶりの みなめざめ
なみのりふねの おとのよきかな”

(意味:夜に波音をたてて進む船が時を忘れてしまうほど心地よくつい目覚めてしまう)

この歌は、はじめからよんでも後ろから読んでも同じ音になる回文歌として有名でありますが、お正月二日目の夜に、宝船の絵を枕の下におき、この歌を3回読んで寝ると吉夢をみられるといわれています。

室町時代から日本には「初夢文化」が生まれたといわれていますが、江戸時代になると正月早々から歌入りの絵を売って歩く「宝船売り」が練り歩いていたそうです。悪い夢を見たらば、その絵を川に流し「夢流し」をしていたそうです。なんとも粋ですね。

今宵はちょうど正月二日目。宝船の絵を枕の下におけずとも、ぜひこの歌を3回唱えて寝てみてはいかがでしょうか。どなたさまにも、心の中に七福神を迎え入れ吉夢がみれますように。

そして、2017年も幸多き年でありますよう心よりお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

香りが新しい世界へと心運ぶ

Juttoku.店舗便り
Juttoku.の世界観や香りを五感で感じ取れるJuttoku.直営店の「神楽坂弁天町店」と「裏参道ガーデン店」。本コラムでは、お店でのあれこれをお届けします。

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香りが新しい世界へと心運ぶ

Juttoku.では今週も様々なお客様にお香づくり体験でご来店いただきました。その中から私が今週担当させていただいたお客様2組様の香りをご紹介させていただきます。

 

再会を祝う香り

お一組目は、フランスでの滞在以来久々に東京で再会をされたすてきなご婦人のお二方。

フランス人のマダムは、ちょうど前日の夜に東京に到着したばかり! 時差ボケで少しだけフラフラがあったみたいですが、大好きな日本への久々の旅行ということで眠い目をこすりながらもご来店いただきました。(ありがとうございます)

 

そんなお二方が創られた香りは、「wake up!」というタイトルの目覚めを促す香りと、「再会」と題した香り。

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フランスのマダムが作られた「wake up!」という香りは、シャキッと目が覚めるようなスッとする香りが際立つ香り。しかし、シャキッとさせるだけの香りではなく、目が覚めたあとには温かいホットミルクティーなのか、それともこの日の麗らかな太陽の日差しのように、目覚めた後も温かく包み込んでくれるようなそんなやさしさも感じる香りに仕上がっておりました。

 

 

そして、日本人のご婦人の方が創られた「再会」と題した香りは、フランスと日本の遠路をこえての久々の再会の喜びを見事に表現された香りでした。その香りは、和洋折衷の香りの世界を感じ取ることができ、それぞれの文化・バックグラウンドは違えども、根底となる部分は一緒であるということを強く感じ取ることができる文化の融合を感じ取れる香りでした。

 

 

 

冬の朝

印象に残っていたもう一組のお客様は、美容関係のお仕事をされているとてもきれいなお二方。

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お一人の方が創られたのは「冬の朝」と題した香り。
その香りから感じみえた世界は、霜が降りるような寒い朝に、朝陽がどんどん照らして霜が降りる草原にも明るい光がさし、そして、そんな寒いなかでも小さな花がつぼみを開こうとするような、そんな冬の朝を感じられるさわやかながらも冬の吐息を感じる香りでした。

その香りを象った形の中にはお客様の手で作られた「四葉のクローバー」。そして、四葉のクローバーにはテントウムシがついてるよ!というもう一方のお声もあり、最後にテントウムシまでかわいく作られました! ちょこっと寄り添う感じがかわいいですよね。

 

もう一方が創られた香りは、その方をイメージされた香りでした。単調な香りだと仰っていましたが、その香りを聞いてみると、幾重のベールをかぶっているかのように奥ゆかしさを感じ、その最後に薫る香りからはその方の愛らしさが甘さの中で見事に表現されていました。

 

 

自分の心を聞きながら、香りを創る

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お香づくり体験をしていただく際にいつもお客様にお伝えしているのは、あまり考えずに“心”で感じたままに表現してみるようにとお伝えしております。

これとこれを混ぜればこういう香りになる、というロジカルな部分があるようでないに等しいと思うことが多々あります。 ほんの少しの量の違いだけで、香りの放ちが違うように感じることも多々。

大人になると何か枠にはめられた中で、すべて頭だけで考えて行動するというのが身についてしまっているようにも感じます。(それだからこそ、頭が疲れたりするわけでもあり。) そうではなく、心でどう感じるか、良い、好き、悪い、嫌い、といった感情も含めて心で感じるものを、素直に表現していくと、そこで新しい自分、もしくは、本当の自分に向き合えたりすることがあります。

お香づくり体験というタイトルではありますが、いつもこのようにお客様の香りを聞かせていただくたびに、その方の秘めていた心の奥が開かれていき、輝きがでてくるのを感じさせていただく楽しい機会をいただいているような気がしております。

 

 

 

もう一つの楽しみ。

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そして、もう一つの楽しみの一つ、特に海外からのお客様がお越しになられると、新たに知る世界がいろいろとあります。それは、お香の原料の使い方。

あくまでもお香の原料の使い方ではありますが、その使い方が様々でお話を伺うたびに世界が広がるばかりです。ぜひその辺のお話も今度ご紹介できればと思っております。

 

 

Juttoku.で行っているお香づくり体験は、年内は28日まで開催しております。 ご興味のある方はぜひ、オンラインからもご予約を承っておりますので、お気軽にお申込みください。

 

 

(書:Juttoku.女将 まい)

 

 

 

 

 

表参道店はノスタルジックなクリスマス

Juttoku.店舗便り
Juttoku.の世界観や香りを五感で感じ取れるJuttoku.直営店の「神楽坂弁天町店」と「裏参道ガーデン店」。本コラムでは、お店でのあれこれをお届けします。

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古民家の中でクリスマスムード

Juttoku.表参道店が入店している裏参道ガーデンでは、12月に入りクリスマスムードが古民家の中でひろがってきています。

Juttoku.の店舗内ではクリスマスのデコレーションは特にしていませんが、施設内の廊下にお手玉でつくられたサンタさんを飾っています。(お越しになられたときは、ぜひ探してみてください!)

 

クリスマスコンサート

dsc_0961そして、今日は裏参道ガーデンの1階ではSALDA3丁目によるクリスマスコンサートが開催されました。ギター、クラリネット、ハーモニカを演奏する3人の方による生演奏では、ジブリの曲や愛の賛歌をはじめ、クリスマスソングも多数演奏されました。

Juttoku.は二階に店舗があるので、直接生の演奏を聴くことができなかったのですが、コンサート時間中がちょうど店舗内で開催するワークショップの時間帯と重なり、一階から聴こえる生演奏の音がちょうど当店の中にまできれいに響き、いつもとは違うクリスマスムードの中でお客様にもお香づくりを楽しんでいただけました。

お客様にも好評だったみたいで、また来年もぜひ演奏してほしいと施設内では盛り上がっておりました。 演奏していただいたSALDA3丁目の皆様、そして、ご紹介いただいた珈琲日記の小林さん、ありがとうございました!!!

 

 

年内も残りわずか

さて、こんな賑わいのあるクリスマスも気づけば来週末。華やかな雰囲気が終わると、今度は気がひきしまるお正月を迎えます。 Juttoku.では、今年もStudioGALAデザインプロデュースのHALEのお正月飾りを販売しております。

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おかげ様で今年も大変ご好評をいただいております。今年のおすすめはこちらの「松飾り」。青々とした常緑の松を、水引であしらわれたお飾りは、室内の華やかな新春飾りになります。

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また、同じく水引できれいにあしらわれた「床飾り 海老」をはじめ、

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店舗内でも飾っております「床飾り 淡路繋ぎ」は、海外の方がお土産としてもお買い求めいただいており、今年も人気の商品の一つです。

こちらは表参道店でも販売しておりますので、ぜひ足をお運びいただき直接商品をご覧ください。

 

 

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なお、鏡餅につきましては、表参道店での在庫分はすべて完売してしまいました。

現在、「鏡餅小」が残りわずかとなっており、販売完了となり次第売り切れになります。購入をご希望のお客様は、オンラインショップからご注文いただくか、神楽坂弁天町店にお越しいただけますようお願いいたします。(なお、品薄状態のため、ご希望のお客様は一度店舗までお電話をいただけましたら、在庫状況をご案内させていただきます。)

(12月19日追記:「鏡餅 小」も全て完売となりました。)

 

 

師走を楽しむ♪

表参道のメインストリートは、イルミネーションがライトアップされており、街全体がクリスマスムードで盛り上がっていますが、そんな中でひっそりと、お正月のご紹介をしているのでこの雰囲気のギャップにやや驚く方もいらっしゃいますが、このミスマッチな雰囲気を楽しめるのも今となっては日本の風情の一つなのかもしれませんね。

Juttoku.表参道店は年内は28日(水)までの営業となります。皆様のご来店を心よりお待ちしております。

 

 

(追伸)裏参道ガーデンのクリスマスおすすめメニュー

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裏参道ガーデンの1階には、様々なお店がありますが、その中でも今月のおすすめの商品は「宇治園」の「クリスマスソフト」。抹茶ソフトクリームが、ツリーに見立てられている、見た目はかわいく美味しいソフトクリームです! ぜひ、お試しください*

 

 

(書:Juttoku.表参道店店長 井口)

 

 

香を聞き、明鏡止水

Juttoku.便り
心に深い安らぎを与えてくれる「美しいカオリ」を、自然と調和する「美しいくらし」に、をコンセプトにもつJuttoku.。四季の美しい日本にいながら、自然と調和する暮らしのなかで、日々様々な出逢いや学びに恵まれます。それは、自然の時間の中に自分を置くことで感じることや、自然をつうじて学ぶ日本の美意識、そして旅先などで見聞することなど。本コラムでは、Juttoku.の折々の暮らしをお届けします。

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明鏡止水

寒風の吹く日が増え、今年も残りわずかとなりました。ついこの間まで暑さをどうしのぐかに頭を悩ましていたにも関わらず、今となっては寒さをどう凌ぐかに苛むばかり。季節の変化、自然の移り変わりを体感できる喜びもさることながら、時の流れの速さにも驚くばかりです。

ここから個人的なお話となり恐縮ではありますが(また、このようなことをこのような場で申し上げるのも躊躇いもありますが)、実は今年の夏ごろより仕事の量を控え、少しお休みをいただいておりました。

生きていくと様々なことに直面していくのは世知辛く感じることも・・・。家族の病などに長年向き合ってきたものの、どこか片手間になったまま真剣に向き合うことができずにダラダラと何年もの年月を重ねてしまっていたような反省もあり、しばらくの間、無理わがままを言って、じっくりと家族と向き合う時間をいただいておりました。しかし、その時間はおのずと自分自身と向き合う貴重な時間にもなり、長年苛まされていたことが減り、明鏡止水の心境に立ち返ることができたかのように感じています。

 

水のように落ち着いた平静な心

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明鏡止水。この言葉の起源は中国の伝承・寓話にあるそうなのですが、この言葉の真意を知ると奥が深いとただただ頷くばかりであります。

 

塵がつくと物事がはっきりと見えなくなる

明鏡止水は、「明鏡」と「止水」という二つの言葉で構成されています。まずは、明鏡について。

 

鏡がよく磨かれていれば塵や垢がつかない。それらがついてしまうのは鏡が汚れているからだ。塵がつくと物事がはっきりと見えなくなる。立派な人と長く過ごしているとよく磨かれて過ちをしないようになる』

 

ある師匠に弟子入りをしている二人の弟子の会話のやり取りの中の一節になります。弟子の一人は悪事をはたらき罰として足を切り落とされる刑を課せられたもの、もう一人は、宰相という地位につくもの。 身分、地位は明確な違いがあり、宰相は自分を見下したり、同等と考えるもう一人の弟子へ不満を口にしたところ、足を切り落とされたほうの弟子が上記のような返答をしたという伝承・寓話からの一説です。

 

 

水のように落ち着いた平静な心

もう一つの「止水」という言葉には、このような物語が。

孔子の弟子である常季(じょうき)は、王駘(おうたい)という人物の元に多くの弟子が集まっていることに不服を感じていました。自分が仕える孔子のほうが博学で立派で素晴らしいのに、何故、ただ悟っただけである王駘に多くの人が集まるのか、それを孔子に聞いたそうです。

 

すると、孔子はこのように答えたそうです。

それは心の静けさのためだ。人が鏡がわりに映して見ようという水は、 流れる水ではなくて止まっている水である」(荘子「徳充符篇」)

つまり、王駘という人物は、まるでじっと止まっている水のような落ち着いた静かな心をもっているから、鏡代わりになる静かな水面が人々の心の鏡になり、自分の心を見たいという人々の心を彼をつうじてうつしだされるからである、ということを仰ったのでしょう。

この「明鏡」と「止水」という言葉が一つになり、くもりのない鏡と波立たない静かな水のように、心にやましい点がなく,澄みきっているという意味の「明鏡止水」という言葉が生まれたそうです。

 

 

 

荒波だつ心をみつめる

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明鏡止水が表す情景を鑑みると、今までの自分の心がいかに曇り、そして荒波たっていたのかと顧みてしまうばかりです。

こうして今の仕事を始めて今年で8年目になりましたが、始めたきっかけである「お香をつうじて、心安らかな時間を提供するお手伝いをしたい」にもかかわらず・・・、肝心な自分自身がまだまだその心境を心得ていなかったと反省していました。

家族の病の狭間のなかで個人的にも体調を完全に崩していた8年前に比べては、すこぶる元気になり心のバランスもよくなってきたと思っていましたが、きちんと自分自身と向き合うと、うわべをとりつくろうとしていた自分がいるのにも気づき、ようやくその状態を素直にみつめることできました。
(見つめることには、正直な話、とても勇気がいりました。自分はそうではない、認めたくないエゴの自分も垣間見えたり。自分ひとりでは何もコントロールすることができない家族の病のことなどもあったので。)

 

 

静寂な時間を慈しむ

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荒波だつ心を落ち着かせたいのであれば、はてはて・・・どうすれば・・・・・と思いながらも、日々の慌ただしい事柄やそれに相重なるように様々な感情や雑念などにおそわれる中、朝・晩の香を焚きながら何も考えない時間というのを多くとるのだけは日課とし、気づけば完全な習慣になっていきました。

そんなある時、ふと気づいたのが、意識して静かな時間をとって、その時間を楽しむように心がければいいだけのことだと。

 

「無常感」と、世俗から脱俗の空間

そう気づいたときに、思いだした文章がありました。

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行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

これは有名否鴨長明の『方丈記』の一説です。鴨長明が書いたとされるこの時代は、まさに「戦乱・混乱の時代」でありました。鴨長明自身もまた、その時代の影響をうけ、自らの立身出世などの落胆や挫折を経験しており、様々な経験を通じて彼が感じえたもの、また「自然災害」にも見舞われることがおおかった当時の社会背景が見事にうつしだされており、「無常感」という日本人ならではの見方がうつしだされております。

 

この動乱の時代だからこそ悟りえた心境なのか。この「無常感」という達観した心持ちというのは、もはや、「自我を減却し、天地自然と融合していく」という東洋の価値観、日本人の価値観へとも通じていくものなのかもしれません。

 

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当時の人々(特に武将や文化人など)は、時として世俗(世の中)から脱却したいがために人里離れた自然豊かな山里で隠居することも考えたことでしょう。

 

しかし、そうすると経済的に生活することができないと理解していた人々は、発想の逆転から、日々の暮らしの中で自然そのものを生活の中、暮らしの場へと取り込むことをしていたといいます。そして、自分たちの屋敷の庭の一角に、四畳半の方丈の間を作り、意図的に山里のような隠家を作ったそうです。とてもすてきな発想でですよね。

 

この空間に入るときは、世俗の様々な悩みやしがらみなど様々なものを部屋の外にすべて置き捨て、祓い清めた心持ちで入り、自我を減却し、瞑想や心静まる時間を楽しみながら、本来の自分に戻るひと時を楽しんでいたといいます。

 

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山にても憂からむときの隠家や
都のうちの松の下庵 
(『雪玉集』)

これは、雅楽の師匠である豊原統秋が、屋敷内の庭の奥にある松の大木の元に隠家としての山里庵を作り、そのことを歌ったものです。 意味としては、「山の中にいてもなかなか脱俗の気分になれない。そうなればいっそのこと都の中の松の下に庵を結んで、そこで隠者としての時間をもとう」という感じでしょうか。まさに、そのことを歌っており心境を感じることができます。

 

 

居ながらにして自然と一体化する

ストレス社会と叫ばれるようになり、ストレスを抱えることがもはや当たり前の世の中になってきておりますが、時代は違えども、ストレスを感じる「心のありかた」というのはどの時代でも考えられてきた大きなテーマだったのかもしれません。

中世の時代の人たちのように、家の敷地内に別空間を作るというのは、世界からはウサギ小屋に住んでいるとも揶揄されている都会の中では、かなり無謀な試みになってしまいますが、意図的に自然を暮らしの中に取り入れ、居ながらにして自然と一体化するということは現代の世の中でも行えることであります。

華道の原点は自然の野山の風景を部屋の中に取りこむように、花や草木を活けて飾ったといいますが、そのように花を家の中に飾ったりするの一つの方法であると思います。

 

お香も自然そのもの

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しかし、もっと手軽にできるのは香を焚くことではないでしょうか。

草や木や根の部分などからできているお香もまた自然そのもの。火にくゆらすことで発せられるかぐわしい香りがその空間を彩り、そして、ゆっくりとくゆらぐ煙のように、焚かれているその時は静寂な空間へと誘ってくれます。

香を焚いているときは、まさに、山里の中で自己と向き合っているかのように、本来の自分に戻れる時なのかもしれません。

 

 

 

香を聞き、明鏡止水

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香では、香りを嗅ぐとは言わず、聞くと言います。それは、「心を研ぎ澄ませてお香の本質に迫る」というような意味もありますが、私はまさにその香木をはじめとして、香りが何を伝えようとしているのかを言葉では語られないその本質に心の耳を傾けるようなことにも感じています。

「香りを聞く」そのものを楽しむためにも、やはり心を研ぎ澄ます、いや、明鏡止水の心へと立ち戻ることが必要なのかもしれません。

 

 

日々是好日

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ざわつく心でいると、周囲で起こることや家族の病や自分自身のことでさえも、時として苛立ちや悲しみ、はたまたあきらめの境地に至ることもあります。しかし、落ち着いた心を保つと、発せられない相手の声や自分自身の心の声にもきちんと耳を傾けることができ、自分を責める感情なども消え、今あるその状態そのものに素直に向き合い、感謝できるようになりました。まさに、日々是好日になりつつあります。

 

「幸せ」は、永遠と探し求めていかなければいけず、遠い先にあると思っていたのですが、実は、“今ここ”にあるものなのかもしれない、とようやく気付くことも。

 

 

静まった心の境地にようやくなれたからなのか・・・・長々雑文で恐縮ですが、このような場でありのままの心根を露わにしてしまいましたが、今日からまたJuttoku.が大切と感じている自然の声もこの場を通じてまたお伝えしていければと思っています。

最後まで目をお通しいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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