(長月)新月の夜

花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

(長月) 新月の夜

今宵は、新月の夜。

一雨ごとに秋色加わり、虫達の声もにぎやかになって参りました。もうすっかり季節は秋ですね。

 

伸びた枝葉を整えるとき

今年の夏は太陽があまり顔をださず曇りがちな天候が続きましたが、そんな天気でも木々を見ていると伸び伸びと枝葉を伸ばし緑が深まる姿をみせてくれました。

しかし、9月にはいり秋めいてくると『もっと!もっと!』という成長するエネルギーは落ち着き、少し小休憩しているかのようにも目に移ります。それはまるで、今まで夏の力をかりて成長することに注力してきた分、ここで少し落ち着きを取り戻し、何が必要で不必要なのか、溜まってきた不要なものを選別するための、これから紅葉のシーズンが本格的に入るまでのしばしの休憩かのようにも見受けられます。

 

これまでの軌跡を振り返る

八月の満月の時は「自分の限界を超え、挑戦する!」という外へ外へという意識がはたらきましたが、季節の変わり目となる今の時期はふと立ち止まり、これまでの軌跡をしばしの間振り返るときのように感じます。

それはまるで、枝葉が伸びていき繁々となってしまい体裁が整わなくなり、その不要な枝や葉を刈り取るために、何をそぎ落としていくのかというのを決めていくステップのようにも思います。

夏まではこうして頑張ってきたけど本当にこれでいいのか?!とこの先の漠然とした不安の思いや、あの人はこんなに伸びたのに自分はこれしか・・・という相手と比べてしまい自分を卑下してしまう思いであったり。

 

また一方で、木々の周囲は雑草に覆われ鬱蒼としまうように、雑草を刈るという作業もにも共通する部分があるのではないでしょうか。それは、部屋の中がモノで散らかってしまったり、デスクの上が書類だらけになっていたりすることも。

 

このように、心・体・空間の中で、不必要になったもの・乱れてしまったもの等を整えていく。

そうするだけで、これからの秋の深まりのなかで、今まで培ってきたものがきちんと実っていくことだけにエネルギーがつかわれ、より大きな実りとなっていくのではないでしょうか。

 

 実りある秋にむけて

ついつい駆け足のように日々を暮らしていると、自分の心の声に気づかず、なんとなく漠然と感じてしまう不安や悲観的な思考を感じることもあると思いますが、今日はぜひゆっくり自分の身体も休めて、ありのままの自分の心の声に耳を傾けるのにちょうどよい時だと思います。

頑張ってきた自分をきちんと認め、称える。そして、一方で自分を卑下したり不安な感情がでてきたら、その感情と向き合い、『そう思っていたままでももしかたがない』とその気持ちを吐き出す。

また、自分がこれからも伸びやかに暮らしていけるように、生活空間を片付けきれいにする。

今宵は新月。満月で満ちてきたものがゼロになるので、何かをリセットしたり、始めたりするのに最適な日です。

そもそもお香には、「身も心も清らかにし」「よく穢れを取り除き」という功徳・効能があります。これからの実りあふれる時を迎える前に、お香を焚き心のモヤモヤを煙とともに吐き出し、空間を清らかにする。心・体・空間の中で不必要なもの、乱れたもの等を整えていくことを意識して過ごしてみてはいかがでしょうか。

 

これからの秋の深まりのなかで今まで培ってきたものがきちんと実り、より大きな実りとなっていく。そんな心の後押しをしてくれる新月の夜を、Juttoku.の新月の香が貴方さまに寄り添えましたら幸いです。

 

すてきな新月の夜を、秋の夜長とともにお楽しみください。

 

菊にあやかり長寿を願う、重陽の節句

花鳥風月~美しい自然の移り変わり~ 豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。 

 

重陽の節句

9月9日は、重陽の節句。五節句のうちの一つですが、この重陽の節句は耳慣れない方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

中国の風習と日本の風習が合わさった「節句」

そもそも、節句とは季節の折目節目、つまり“季節の変わり目”のことを意味しており、古代中国(唐時代)の暦法で定めれた季節の節目でした。

古代中国では陰陽説が尊ばれており、陽(奇数)が重なると陰になるとして、暦の中で奇数の月と日が重なる日をとりだし、陰を避けるため季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓っていたといわれています。 この中国の暦の影響をうけて、古代の日本の朝廷も年中行事として定め、その風習が日本の農耕を行う人々にまで伝わり、人日(1月1日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)が五節句と定められ、宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになったそうです。

邪気を祓い、新節を清い体で

いずれにせよ、前述したとおり節句は季節の変わり目であることにほかならず、体調をくずしやすい時でもあります。 現代は医薬が充実していますが、未発達であった古代の時代で考えれば、邪気を防ぎ健康を保って季節の変わり目を乗り切るということは切実な願いであったと思います。 そこで、季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓うことが行事化され、前節までに身につけた穢れを祓い、新節を清い体で乗り越えようと考えられたのがことのはじまりです。

 

菊にあやかり長寿を願う

最大の陽数である「九」が重なるため重陽の節句といわれますが、「菊の節句」とも言われており、秋の深まるこの時期に鮮やかに彩る菊の花にあやかり長寿を願う行事が平安宮中に行われていました。

 

 観菊の宴

 

長陽の節句_菊酒」

菊を愛でながら、菊酒を呑みかわし、詩歌を詠んでは楽しむという「観菊の宴」。

菊の花と葉を穀物に混ぜて作られ、菊の花を浮かべるなどしてふるまわれた菊酒は、菊の清々しい香りと花の気品の高さによって邪気を祓い、寿命を延ばすと考えられ、互いに長寿延命を願いなが盃をかわしていたそうです。

桃の節供の桃酒、端午の節句の菖蒲酒とおなじように邪気払いとして呑まれますが、この菊酒が一番呪力が高いともいわれていたそうです。想像するにきっとこの菊酒は、お屠蘇のようなもので、ガブガブ呑むようなお酒というよりは一杯のお酒に願いを込めて呑んでいたのではないでしょうか。菊の花を浮かべるというのもなんとも風流なものですね。

 

 

被せ綿

菊

前日の夕刻に菊の花に真綿をかぶせて、庭にだしておくと、翌朝にはしっとりと朝露で菊の香りとともに真綿に染み込みます。この菊の香りもしみこんだ真綿で肌をふくと、肌が美しくなり、また長生きできるという、お祓いと長寿の願いをこめられた宮中の行事でした。

 

紫式部日記にもこの被せ綿について詠まれている歌があり、宮中の女性たちの心が今の女性にも伝わってくるものがあります。

 

 

香りで清める、それは心をも清める

 

「観菊の宴」「被せ綿」から共通してみえる菊の香り。感じ方は様々だと思いますが、菊の香りは清々しい香りで、まるで禊をした気持ちにまでさせてくれる清涼な香りです。

 

 

このごろの 時雨の雨に 菊の花     
      散りぞしぬべき あたらその香を

 

 

[この頃の時雨の雨に、菊の花は散ってしまいそうだ。 惜しいことにこの雨で芳しい香りも消えてしまうのだなあ。] この歌は、桓武天皇によって詠まれており、菊を詠んだ和歌としては最も古い歌であり、菊の香りが消えてしまうことを惜しまれている気持ちが伝わってきます。

 

長陽の節句_菊

目に見えない香りに静かに心を傾け、息づく自然の生命、自然の美を感じとる。今こそ大切にしたい心であり、心落ち着かせながらその香りを感じとることが、おそらく何よりも心を落ち着かせ、清らかにさせてくれたのではないでしょうか。

 

 

 

(本コラムは、2015年9月のコラムの再掲載になります)

(葉月 )満月の夜

花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

(葉月) 満月の夜

今宵は、満月の夜。昨日まで台風に日本全土が見舞われ・・・満月の夜を楽しむことができないかと天を仰ぎ見ていましたが、願いが通じたのか台風一過の晴れ晴れとした天気に。

ようやく梅雨明けしたかと思いきや、なかなか晴れ晴れとした夏の空には恵まれない中で久々に真っ赤な太陽が顔をのぞかせてくれると暑さも我慢できるようなにこやかな気分になります。

思い切り羽を伸ばす

春に新緑の青々とした木々の葉も、夏になるとより深みを増した青緑となり、太陽の光を全身で感じたいと思わんばかりに伸び伸びと大きく成長している草木を眺めていると、なんともいえない自然の大きな力を感じます。

そんな躍動感をも感じる木々の成長は、「己への制限なんぞ何もない」という声をも聞こえてきます。

大人になると様々な経験を重ねていきそれが良い経験にもなるのですが、ときには過去の失敗や恐れという負の経験などからどことなく自分自身の可能性に蓋をしめてしまう思考の癖がでてきてしまうことも。

しかし、失敗という負の経験もそこで立ち止まったら永遠に終わり。そこからどう這い上がり、乗り越えていくかに真の学びがあるのではないでしょうか。

立ちふさがるものは何もない! たとえ台風の強い雨風で枝葉が折れようとも、そこで屈せず、また少しずつ枝木を伸ばしながら葉の芽をはやそうとする自然のダイナミズムが大きな自然の手本です。
今宵は満月。心の内に秘めてある恐れや不安を、満月の光で照らしだし、そんな思いも吐き出してみてください。 自分で勝手に作った思考の制限を隠れみのにせず、思いきり挑戦を楽しむ!そこからまた開かれる人生もあると思います。

そんな心の後押しをしてくれる満月の夜を、Juttoku.の満月の香が貴方さまに寄り添えましたら幸いです。

すてきな満月の夜を、そして残りの夏をめいいっぱいお楽しみください。

 

梅花から思いを馳せる

花鳥風月
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

春風にのって春薫る

全国的に春うららかな天気に恵まれ、春の訪れを感じる今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。春分の日も過ぎ、昨日は東京では桜の開花宣言もでました。いよいよ待ちに待った春の到来ですね。

 

春の香り

寒い冬を過ぎると少しずつ花も咲きはじめ、花々からは春の香りを感じるようになります。節分のあとに梅が春の訪れを知らせるかのようにいち早く咲きはじめ、桃、沈丁花、水仙、たんぽぽなども、そして桜と美しい花を咲かせてくれます。

それはまるで、植物たちも厳しい冬を耐え抜いた喜びを春を待ち望んでいたかのようにも感じます。こうして様々な春の花々が咲きますが、あなたにとって「春の香り」は何の香りが思い浮かびますでしょうか。

 

香りで悠久の時を巡る

時代は遡り、日本の香文化が花開いた平安時代。香りを楽しむのは貴族中心ではありましたが、『源氏物語』の中にも光源氏をはじめ藤壺の宮や紫の上など様々なシーンにおいて薫物(※お香)がでてきており、雅な王朝の暮らしのなかで香りが楽しまれていたのを窺い知ることができます。そして、その香りからも彼らの四季観を感じ取ることができ、当時は四季ごとに表現された香りがありました。

それは、「六種の薫物」と総じてよばれますが、春夏秋冬の四季毎に香りがありました。

●夏の香:「荷葉(かよう)」 蓮の葉の香りになぞらえた
●秋の香:「侍従(じじゅう)」秋風の感じをもつ
菊花(きくか)」 菊の花の香りになぞらえた
●冬の香:「黒方(くろぼう)」冬の香り(黒は冬、北、を意味するため)
※近世以降は「祝儀用の香」とされ、初春、また四季通用として用いられる香りに。

このように、春夏秋冬になぞり四季を感じる香りがありますが、「春の香り」は何が表現されていると思いますか?

 

 

王朝時代の「春の香り」

春の香り。それは「梅花(ばいか)」と称され、文字通り“梅の花”の香りに似せたものになります。

春というと“桜”の花を彷彿させますが、寒ければ寒いほど梅は強い香りを放つように香りが色濃く感じ、寒い冬を越えていち早く咲く梅が春の喜びをより一層感じることができるからでしょうかでしょうか。

この「梅花」には、沈香・占唐・甲香・甘松・白檀・丁子・麝香・薫陸の香料が混ぜ合わせられていたといわれています。

 

はなやかに今めかしう、すこしはやき心しらひを添へて、めづらしき薫り加はれり。(梅枝「源氏物語」)

(華やかに今風な、いくらか鋭く、強い香りを生かした心くばりがモダンで、ほかにないすてきな香りがする)

 

これは「梅枝」のなかで紫の上精魂込めて創り上げた「梅花」の香りに対して香りの判定をすることになった螢宮が評した言葉になりますが、用いる沈香の品質の良しあしや、同じ「梅花」でもその家々ごとの秘伝も加わり、出来上がった香りは多様で一概に同じとはいえず。しかしながら、「梅花」は想像するに馥郁たる甘さのなかにも凛とした気品高い香りを彷彿させます。

 

このように源氏物語でも「梅枝」の中でこの「梅花」の香りは描写されていますが、他にもこんな和歌もありました。

 

梅の花立ち寄るばかりありしおり人の咎むる香にぞ染みぬる  よみ人しらず

(ほんのちょっと梅の花に近寄ったばかりに、その移り香が染みついて、ひとに咎められる羽目になってしまった)

 

おそらくこの“人”とは奥さんのことであると思いますが、「梅花」の香りを焚き染めた女性に寄り添い、染み付いた移り香で浮気がばれてしまったという、なんとも現代でもよくありそうな話ではありますが、歌をよむこの男性も「梅花」の香りだとわかるところに感嘆します。

 

 

梅を憂い

「梅花」の香りをイメージしながらも、梅の香りをあらためてきちんと体感したいと思い、3月初めになりますが小田原の近くにある梅園に行ってきました。

 

大雨が降った後ということもありほとんど咲き散っていましたが、品種によってはまだ咲いており、その梅の近くを通る人はみんな「梅の香りがする~!」と喜びの声をあげていたほど。

寒い風のなかでも馥郁な甘い香りで楽しませてくれ、「梅花」の薫物の香りも当時はこういう梅の花を感じ取っていたのかなぁと思いを巡らしていました。

 

梅は輸入花であるけども

しかしながら、梅は中国からの輸入種であることも忘れてはなりません。

数年前に中国の蘇州にある有名な中国庭園を訪れた際、梅の木々が多く植えられており中国の春の木だと説明を受けとても驚愕したのを覚えています。(てっきり日本ならではの木だと当時はまだ思い込んでいたため。)

和歌などでも梅がうたわれるようになったのは奈良時代に入ってからで、梅の花が船舶品として日本にはいってきたのは中国から太宰府を経て平城京に入ってきたといわれています。当時の人々にとっては大陸のものはすべてが目新しくまた憧れもあったとはいえども、国風文化が培われるなかでも、梅の花の美しさも香りをも当時の人々を魅了していき、日本に土着していったのかもしれません。

 

 

「新たな命」が生まれるとき

春の訪れをつうじて春の香りに思いをはせてきましたが、こうして日本の風情におさまっている梅はやはり春の訪れをつげるめでたい花でもあります。

「春」は新たな季節、新たな春夏秋冬が始まる季節であり、また、植物などが枯れてしいまう寒い冬から、新たな芽、新たな命がでる時期であります。

 

あなたはどんな種をまき、どんな花を咲かせ、どのような香りを放ちたいですか?

 

新たな命がしっかりと育ち、そして実を結びますように。
すてきな春が皆さまにも訪れますように。

 

 

 

 

【立春】看脚下

花鳥風月
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

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春の足音

いくらか寒さもゆるむなかで、少しずつ春の足音が聞こえてきます。
今日は、立春。 暦のうえでは、春になりました。

寒い冬を耐え忍んだぶんだけ、春の気配を待ち遠しく感じられている方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

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梅の花も芽吹きはじめ道端で見つけると、「ほっ」と心和らぐ瞬間です。梅が咲き始めると、より春の訪れを感じますね。

冬でも木々は生きている

SONY DSC寒い日が続くとついつい縮こまってしまい、時として外に出るのも億劫になってしまうときも。

しかし、自然の中を歩いていると木々も葉を落として寒々としているようにも感じられ気持ちも冷ややかになってしまいますが、たとえ外は寒々としたようにみえても、木々はしっかりと生きているのだと感じさせられます。

 

木々からの声に耳を傾ける

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ついつい上辺だけを見てしまいがちですが、木々にも草花もしっかりと土の下には根が生えており、その根が大きな幹も支えています。

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寒い冬の中でも、木々はまた新しい生命を宿していく準備をしていくかのように、地中では根がより深く、より太く成長していけるように根を張り巡らしています。

こんな自然の姿をみていると、木々から大きな声でこの言葉をかけてもらっているようにも感じます。

 

看脚下

(意味)足元を見よ。この足元とは、自分の日常生活やもっとも身近なもののこと。

これは禅の言葉です。

ついつい外側や表面、結果など上辺の部分にばかり目がいってしまい、そこが自分が思っているのと違ったりすると、焦ったり、また動揺したり、時として無力を感じることもあるのではないでしょうか。私たちはしばしば、外側に期待をかけるだけで、問題の本質を目を向けぬままなことがあります。

そういうときこそ「看脚下」。足元を見てみる、つまりは自分自身を見つめてみる。

 

根を張るとき

SONY DSC今そこにいる自分の下には、今まで積み上げてきたものが多くあり、それらの礎、プロセスがあって今の自分にたどり着き、“今ここ”にいます。つまり、それこそが私たちにとっての“根”となる部分。

しっかりと根が張っている、と自分自身がきちんと認識できるだけでも気持ちが楽になると思います。また、同時に、今はしっかりと根を張るんだという意識へと切り替えることもできると思います。

地中のなかでたくさんの養分や水を吸い込み、大きく成長する。そして、たくさん蓄え成長したものを、時期がきたらだしていく。

人間も自然の流れに無理に逆らうことなく、今だからこそできることに素直に従ってみるのもいいかもしれません。

 

新しい年の始まり

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立秋は、暦のうえでは新しい年の始まりでもあります。

これからはじまる新しい一年が、まずは足元をきちんとみつめさせてくれ、根をしっかりと張ることから始められるというのも自然の教えに敬服するばかりです。

 

梅

看脚下。この時期にたくさん根から吸収したものが、もうすぐ芽吹かせる時期がきますね*

すてきな立春の日をお過ごしください。

 

 

 

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