清少納言の「枕草子」にならい~如月の満月~

花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

 

新しい年のはじまり、そして春へ

立春も過ぎ暦のうえでは春にはいりました。

春の訪れが待ち遠しいほど寒い日がまだ続いていますが、吹く風がすこし温かいだけで、毎日見ている日常の風景もなんだかいつもとは違うように感じ『春ってなんで幸せな気もちになれるのだろう』としみじみと感じました。

そうしたとき、ふと「枕草子」の有名な一節が頭にうかんできました。

 

春は、曙。ようよう白くなり行、やまぎわにすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。

 

<「春」は、あけぼの。日の出前が好き。真っ暗な空が、だんだん白んできて、黒い山と夜空の境がちょっと明るくなり始めると、心がときめくのです。細くたなびく、紫がかった雲が、少しずつそまっていく光景は美しく、新たな一日の始まりを勇気づけてくれます。(現代語訳)>

 

いつ読んでも聞いても、とても美しいですよね。
これは、清少納言が仕えている皇后定子様から「春、夏、秋、冬の季節のなかで、何が一番好きですか?」という問いかけに対しての清少納言の返答です。

 

春というとついつい芽吹きや花に目がいってしまいますが、春の日の出前の空に春の美しさを見出せるのは感性の豊かさもありますが、いかにいつも自然の風景をみているのかが伝わってきます。

 

清少納言は春の美しさを語ったあとに、夏・秋と続くのですが、冬の描写も心に響きます。

 

冬はつとめて。雪のふりたるはいうべきにあらず。霜のいとしろきも、またさらでも、いと寒きに、火などいそぎおこして、炭もてわたるもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火もしろき灰がちになりて、わろし。

 

<「冬」は、早朝。ぴーんと張り詰めた寒さがいい。雪が降った日はいうまでもありません。霜が降りた日も、そうでなくても、とにかく厳しい寒さのなか、朝早くから大急ぎで火をおこし、真っ赤に燃えた炭を、あちこちの部屋へもっていくのは、いかにも冬らしくていいですね。 でも、昼になって寒さがゆるんでくると、パチパチ音を立てるくらい真っ赤だった炭が、白い灰をかぶっています。そんな火鉢を見ると「あぁかわり果てた姿だこと」とちょっと儚い思いがわいてきます。(現代語訳)>

 

科学技術の発展の恩恵におおきくあやかっている現代の暮らしのなかにおいては、エアコンやストーブがかかせず・・朝起きてあの寒いなかで炭をおこして部屋に運んでいたなど想像するに身震いをしてしまいますが、その炭に冬のよさを描写している彼女のセンスに心奪われるとともに、彼女の日記をつうじて当時の暮らしが思い描かれてきます。

 

今の私たちにも心が通じる

こうして「枕草子」を読んでいると、1000年以上も前の古典であるにもかわらずどことなく今の私たちにも心が通じ合えるところがあり読み続けるととまらないです。

 

第92段の「かたはらいたき物~」というなかでは気まずくていたたまれない思いが、第119段の「はずかしきもの~」というなかでは、女は他人のうわさ話と悪口ばかり、男は女をもてあそんでばかりと恥ずかしいと嘆き、第122段では「はしたなきもの~」でほかの人が呼ばれたのに、自分のことだと勘違いして出でいったときは気まずいです、と読みながら心の中で『うん、うん』と頷いてしまったり、今でいう“女子会”での会話を彷彿させる一文もありやけに親近感がわいてしまいます。

 

心ときめきするもの

『心をときめかすもの。 』(「枕草子 第29段」)

こちらは以前もこのブログ内でもご紹介させていただきましたが、清少納言が“心ときめく”ときをまとめた一節。 この中で、彼女が心をときめかすものとして『高級な薫物を焚いて、一人で横になっている時。』と、『髪を洗って化粧をして、しっかりと良い香りが焚き染められてついた着物を着た時。』と“香”が彼女の心をときめかしているのがわかりますが、特に『高級な薫物を焚いて、一人で横になっている時。』というのが人間味溢れている心の声が伝わってきて、より一層清少納言に心を寄せてしまいます。

 

どういう思いで一人で横になっているのか・・・、「枕草子」を書いていたときの彼女の生活背景やこの日記の中でほかにも書かれている彼女の声に耳を傾けると、『そういう時間も必要だよね~』と思ってしまいます。

 

心も着ほどく

今宵は如月の「満月」。
時代は違えども、清少納言がしていたように「香を焚きながら、一人で横になる」そんな解放感をかんじるゆっくりした時間を楽しまれてはどうでしょう。

清少納言もきっと宮仕えの仕事を終えて自分の部屋に戻り、重い着物を脱ぎ、ゆっくりした格好で一人の時間をゴロゴロと過ごし楽しまれていたのではないでしょう。

時代を超えてもやはりそういう脱力できるゆっくりした時間というのは必要なのですよね。

折しも、2月を表す「如月」という言葉の意味は「衣更着(きさらぎ)」とあり、「衣をさらに着る」とあるようにまさに今の寒さが描写されている言葉ですが、もうあと少しで3月になりますし徐々に春の風を感じるようにもなってきたので、心の中にもかけていた“衣”をも脱いでいき、ゆっくりするときを楽しむときなのだと思います。

 

寒い日が続くとついつい体も縮こまり、意識的にも「~しなければならない」「こうしなきゃ」など何か自分を追い詰めてしまうことがあると思います。でも、そういうものもすべて解きほぐし、手放し、だらりとする。

そういう時間も大切だよ、と説いてくれているようにも感じます。

 

「月のいとあかきに、川をわたれば~(第215段)」では、月がとても明るい夜に牛車で川を渡ると、月光が反射してキラキラ輝く水晶のように見えると、美しい光景をうたっていますが、こういう風に感じ取れるのも心のゆとりがあるからこそなのかもしれません。

 

今宵の満月は清少納言にならいながら、香を焚きゆっくりした時間を楽しまれてはいかがでしょう。
すてきな満月の夜をお過ごしください*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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