悟りをひらく〜師走の満月の夜に〜

花鳥風月~美しい自然の移り変わり~
豊かな地球の恵みを敏感に感じ、絶妙な香りの配合を表現してきた先人たちの繊細な感性により培われてきた日本の香文化。それは、自然との共生を大切にし、様々なものを調和させ、新しいものを生み出す日本人の美意識そのもの。そんな日本人の美意識をはぐくむ「日本の美しい自然の移り変わり」を、本コラムでお届けします。

凍てつく北風の吹く季節を迎え、いよいよ年内も余日わずかとなりました。

今年は夏に山登りに精をだし10年ぶりの富士山の登頂を果たした後、秋から冬にかけては奈良県天川村から旅がはじまり、岐阜の白川村、長野の上高地、そして北海道は札幌から阿寒湖や摩周湖などがある道東のほうまで足をのばしてきました。

青々と茂ってた木々に覆われていた日本列島も、まるで風と共に巡り渡ったかのように、葉を落とし散らしつつ、冬へと包まれていく。今回の旅はまるで風に身を委ねるかのように、季節の移ろいと共に色々な色に染まってきました。

 

緑色に心染まる

まず10月中旬は奈良県天川村の標高約1000Mの山林の中へ。針葉樹と広葉樹の混合林の作り方の講習に参加してきました。

講習会がおこなわれた山はきれいに手入れをされているところだったので、檜・杉の針葉樹の山肌も光があたり気持ち良く。下草も自生し、また、間伐された切り株にはきれいに苔がつき、全面にひろがる緑色の世界。

 

山を上に上がるほどより空気も澄みわたり、どっぷり森林浴に浸かっている気分になり、呼吸をするたびに心の中も青々としていきます。

 

茜色に心染まる

数日間の天川村での山の活動を終え、車を北東に走らせること約5時間。こちらも十数年ぶりに岐阜県白川村へ。

夕刻ちかくに立ち寄った白川郷は、稲穂が刈り取られた田んぼに夕日があたり心微かに茜色に染まる美しさがまだありました。

自然と共生する暮らしがまだ色濃く残っている白川郷では、山からの雪水が小川となり暮らしを支えてくれています。

 

静寂な里のなかで秋の虫の声が響き、夕陽に染まりながら暗闇へと転じていく空の移ろいを楽しんでいると、都会では味わえない「心の豊かさ」に満たされている感覚に。

 

黄金色に心染まる

翌日は、かねてより1度行ってみたかった白山国立公園内の大白川のハイキングに参加してきました。

 

自生している樹木がちがうと、山でも景色も異なります。

 

小さな発見も見逃さず、気づきを教えてくれるガイドさんと一緒だから、一歩、山の中にはいると全てが気づきや驚きの連続。

 

紅葉の見頃に行くことができたので、見渡す限り全面にひろがる黄金色の世界に無我夢中に。

 

そして、それぞれの葉の色の美しさは眩い光を放ち、また、一様に同じ色ではないそれぞれの色の紅葉の姿を見ながら「ありのままでいいのだよ」と優しく囁いてくれているようにも感じました。

 

冴える感性

今回連れて行っていただいたハイキングコースには、樹齢200年におよぶ原生林のブナ、ナラ、トチ、ダケカンバなどの広葉樹がとりまいている国立山岳自然公園のなか。これだけの樹齢のブナをはじめて広葉樹のみの原生林はどこか極楽浄土に感じてしまう特別な場所。そんな神々しく黄金色に染まった森の中を歩き続けていると、感覚も自ずと冴えわたってくる感覚があります。

 

風の音、小鳥の鳴き声、キツツキが木を叩く音、木々からの香り、葉の色・・・。とかく、香りはとても顕著なもので、歩いていると「あ、土の香りがここはする」「黒文字の香りがしてきた」「風の香りだ・・!」と、都内では感じない自然のありのままの香りも鮮明に感じ、そして心揺すぶられている自分がいることに、我に返りました。

 

それだけ、都会の中で暮らしをしていると、ネオンの光や車などの騒音、臭いなど多くの刺激にさらされながら生きているのでしょう。

 

また、都会云々関係なく、一日に受け取っている情報量が江戸時代の人たちと現代人は何百倍もの多くの情報量をうけとっていると知ると、ひとつひとつは記憶の網目をすり抜けていくかのようになっているのだとも気付かされます。

 

だから、ただこうして森の中にいるときだけは、自分自身を遮るもの、防御するもの、それは目に見えない鎧であり、そして、感性を遮断させている目に見えずとも無意識に被っている仮面など・・・五感を封じているものすべてを、一歩一歩歩く度に、自ずと外し、手放している自分がいることにも気づきました。

 

それは、まるで森の中の木々が葉を落としているのと同じように。

 

1時間ぐらいの散策。

 

森の中から出ると、まだそこは標高900Mの山の中腹メラルドグリーンの神秘的な輝きを魅せる「白水湖」が目の前にあるにもかかわらず、いっきに現実世界に還ってきたと感じてしまうほど、異空間の中にいたのだと感じてなりませんでした。

記憶に鮮明に残っているのは、都会の中に比べては十分に透きとおる世界にもかかわらず、空気に重量を感じるほど、自分の感覚が研ぎ澄まされている感覚。

そして、何よりも身体も心も軽くなっているのにも感嘆してしまいました。

 

静寂な中で

さて、今宵は2023年最後の満月の夜。

静寂な空間に身をおき、香を焚き呼吸と共に、無意識に纏っていた鎧や仮面など自分を封じていたものを手放してみてはいかがでしょうか。

 

聴雨寒盡、開門多落葉
(雨を聴いて寒更尽き、門を開けば落葉多し)

 

「寒い夜に雨音を聴いて過ごし、夜が明けて門を開けたら、あたり一面に落ち葉が広がっていた。雨だと思って聴いていた音は、実は落ち葉が屋根に落ちてくる音だった」という意味だそうです。

この“門を開けたら”というのは“悟りを開いたら”という意味も被されているのだそう。

 

自然に囲まれた静寂な中で、悟りを開いたら、寒い雨かと思いこんでいた世界が美しい落ち葉がひろがる世界だったと、悟りを開く前と開いてからでは、同じ世界にいながら世界観がまるで違うことを教えてくれています。

『悟り』というと、どこか厳しい修行をしないと得られない境地だと思ってしまいそうですが、ここではシンプルに“自分の意識を変える”ということが『悟り』だと問いかけてくれていると思います。

だから、周りが変わることではなく、自分の意識を変えることが、そのまま自分をとりまく世界を変えることができる、と教えてくれているのでしょう。

 

心の中の純粋さ

そもそも私達人間は自然の中に生まれたのに、現代の暮らしは便利さが勝る一方で、自然との乖離していくばかり。だんだんと不自然な生き方になっているのもわからなくなってしまっています。これが“目に見えない鎧や自分を封じる仮面”でごまかそうとしているのかもしれません。

 

大自然の中に身を置くことで心身のバランスをとり、自分の心の中に眠っている驚くほどの“純粋さ”に気づき、そして悟りをひらいてく感覚に。

 

でも、言うは易く行うは難しで、日々の暮らしの中で毎日のように大自然の中に身をおくこというのなかなか難しいというのもわかります。

 

何にも邪魔されない静寂な空間の中に身をおくだけでも、この気づきがおきてくると思います。

 

実際にこの上の写真は、北海道の摩周湖にて。

“霧の摩周湖”という異名をもつほど、霧に覆われることが多い摩周湖ですが、この時も1M先も見えないほど深い霧にしばらくずっと覆われていたのですが、数分だけ一瞬この霧の晴れ間に巡り会え、摩周湖全体を眺望することができました。

これもまさに、静寂のなかで自分自身と見つめ合う先にみえる“悟り”なのだと、教えてくれるようでもありました。

 


今宵は2023年の締めくくりでもある大切な満月の夜。
この一年で纏ってしまった目に見えない鎧や自分を封じる仮面をしっかり外し、純粋たる光輝く心で、新しく迎える年をお迎えください。

 


▲長野県上高地にある穗髙神社奥宮の奥にある明神池。ここは針葉樹林に囲まれた神秘的な池で、穗髙神社の神域。この明神池には神聖なる龍神がいらっしゃるともいわれる場所。あと数日で迎える新しい年の干支は「竜」。どうぞ、皆様にとって龍の如く昇りあがる素晴らしい年になることを祈念しております。本年も誠にありがとうございました。/span>

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