【香とお花のおもてなし vol.5】 松尾芭蕉の句から省みる風流な暮らし

今週もお店では新しいお花を活け、お客様をお出迎えさせていただいております。

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 今週のお花は、芍薬です。

豪華絢爛に咲き誇る芍薬をお好きな女性の方も多いのではないでしょうか。
芍薬の花を眺めているだけでも、自然がつくりなすこの美しさに心がときめいてしまいます。

私は古流の教えをもとに生けておりますが、一輪のお花を手に取り、どの方向、角度が一番そのお花が美しく見えるのか、それを”考える”というよりも”感じ”ながら行います。

“美しさ”へのこだわり

日本の文化の根底にあるのは、まさにこの”美しさ”を見出し、感じ取る感覚が養われてきた生活背景がるのかなと思います。

いにしえの日本人の方々は、美しいものや雅なものに対する憧れや、それをどこまでも追い求めていく強い意志がありました。 それは、絵画や文芸だけでなく、能や、茶道、華道、香道にもつうじております。

先日の香道のお稽古の際も、一片の小さな香木を焚き香りを聞くというお作法のなかで、香炉の持ち方、回し方に先生からご指摘をうけました。
(おそらく若い頃であれば・・・・こんな細かい部分にまで誰も気がつかないよ・・・とか、その手の持ち方の印象の違いなんてわからなかったと思うのですが・・・・、この歳になってようやく気づいてきたという感じです。)

お茶のお稽古でも、扇子の持ち方、歩き方、お辞儀の所作に大変厳しくご指導いただいております。 作品だけの美しさだけではなく、そこへいたるプロセスまでも”美しさ”を追求してきたいにしえの日本人の方々に敬服する思いです。

 

 風流、風雅な美意識

”美しい”という表現は、日本だけでなくどの国々にもある形容詞であり、そして誰もが美しいものをみてとても良い気分になる、というのも世界共通感覚であります。

ただ、いろいろな国々の方とお会いしてお話する中で思うのが日本人が培ってきたこの美の美しさへの捉え方というのは、また奥深いものがあるなぁと思う時があります。

先日日本庭園へ散策し大きな庭園を眺めていると、隣のご夫婦が「風流ですね~」と庭園を眺めながらお話しておりました。  華美にならず、洗練された美しさ、雅やかなことを表す『風流』というのも、日本人ならではの美しさを捉える表現・感覚であるなぁと思いました。

その感覚というのは、日本が四季に恵まれ、自然と共に共存して自然を楽しんでいたというのが大きくあると思います。

風流の はじめや奥の 田植え歌」  (松尾芭蕉)

奥の細道の中のこの一句は、芭蕉が長い旅の苦労のために心身ともに疲れ、その上、すばらしい風景に心をうばわれるなかで、むかしのことを考えると懐かしさに堪えかねて、いい句を案ずることができないという中でうまれた一句です。 白河の関を越えると、歌いながら田植えをするという、実に趣きのある光景が目にとまり、これは、『旅に出て最初の風流な味わいであることよ。』と思いを表したそうです。 

この句から思い浮かぶのは、むかしの人たちは自然と寄り添いながら暮らし、その日その日が風流であり風雅な日々だったのかなぁと思い馳せました。

そう思うと私たちの今の暮らしというのは、何かと”便利さ”や”時短”などに重きをおいてしまうことがあるようにも感じられます。 現代の働き方や仕事が何かと”スピード”を求められ、効率よくが問われるからこそ、そこにアンテナをはってしまうのは正直致し方無いのかなと思っています。

ただ、お休みの日やゆっくり休めるオフの時間の時ぐらいは、この風流な暮らしというのを意識したいものですよね。 普段の生活では、時短料理ばかりだったのを、時にはゆっくり下ごしらえから料理をしてみたり、また、自然そのものの美しさにふれてみたり、また部屋の中にも美しいものをという感性で取り入れてみたり・・・!

奇しくも今週はGWで、お休みを楽しまれる方も多くいらっしゃると思います。
ぜひこのお休みをつうじて、風流な暮らし、ひと時を意識されて過ごされてみてはいかがでしょうか?

そんな思いを込めながら・・・・・今週もJuttoku.SHOPでは、「風流だなぁ~」と感じていただける香を焚きながら、スタッフ一同ご来店を心よりお待ち申し上げております♪。

 

 

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